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カカオサンパカの日本進出について

投稿日: 2008年5月27日

XOCOさんに再度おこたえします。下記の記事を書いているころ山崎文裕氏(デザイン業=Yamasaki Design Production Ltd.)との間でカカオサンパカジャパン設立の話が進行していたようです。2008年10月27日の日経にCSJ社が日本国内における独占販売及びマスターフランチャイズ権を取得したことを報道しています。11月1日からウェブサイトを立ちあげています。2009年のバレンタインの注文を通販で受けるようです。同じく2009年に第1号店を東京に出店するとのことです。

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XOCOさんにおこたえします。 私は2002年8月、JR高島屋名古屋店でスペインフェアの催しに日本で初めてカカオサンパカを紹介したことを機に、私はパンパシフィックのマスターフランチャイズの権利を得べくスペインに行きました。そのときは時期尚早との理由でていよく断られました。 そこで、翌2003年のヴァレンタインで伊勢丹新宿店、阪神百貨店、プランタン銀座、高島屋多摩川店、大丸東京店、京王百貨店新宿店で2~3週間の特売を試み再度、マスターフランチャイジーの交渉をしました。ちょうどカカオサンパカがチョコヴィックから独立して、新工場を建設中であることを理由に再度峻拒されました。 2006年、チョコヴィックジャパンの社長とカカオサンパカ本社へ3度目の挑戦と意気込んで直談判に行きました。結論は当時カカオサンパカがニューヨークの出店計画を検討中で、アメリカとのマスターフランチャイズ問題を解決してからと、またもや追い返され、交渉は不首尾に終わりました。 しかし、ニューヨーク店は2年たった現在も実現していません。1999年末、カカオサンパカはバルセロナのチェントロに鮮烈なデビューを果たして世界中の同業者がバルセロナを訪れ多くの模倣者が生まれました。 カカオサンパカの基本コンセプトは5人の鬼才によって作られました。その5人とは、2003年カカオサンパカの社長に指名されたリッカルド・ナヴァッロ、エルブジのフェラン・アドリア、アルベルト・アドリア兄弟、アウラ ・チョコヴィックの校長、ラモン・モラト、スペイン随一のデザイナーであり、カメラマンでもある、パティ・ヌネエツです。 4人の優秀な人物を束ねたリッカルド・ナヴァッロは太平洋、インド洋、大西洋の定期貨物船の船長出身で、ネダーランドグループのチョコヴィック社の社長を永年勤めた異才の経営者でした。多種少量生産の工場完成後に自動車事故で亡くなりました。 完全無欠な製品を目指すには自社工場で生産することが理想です。しかし、板チョコだけで100種類もあるような多種多様な商品構成では外注加工なしでは生産が間に合いません。現況は9店舗で足踏みが続いています。リッカルド・ナヴァッロの後継者が現れるまでしばらく多店舗展開は無理であろうと思います。 2006年のISMに、ドイツに Coppeneurというカカオサンパカのそっくりさんが現れました。2007年のISMにはそのCoppeneurを傘下におさめたUKのHotel Chocolat が出展していました。Hotel Chocolat は300余の協力工場を有し順調に通販業者からフランチャズビジネスに転換をはかり順調に業容を拡大しています。 私はHotel Chocolat のアンガス社長と30分ほどISMの会場で話をしました。彼の才気溢れるアイディアを実行に移していった過去3年間の活躍ぶりを聞くにつけ彼が並々ならぬマスマーチャンダイザーであることを認識しました。しかし味についてはカカオサンパカに比ぶべくもないと思いました。 カカオサンパカのコンセプトから外れることなく時流に乗ったビジネスモデルをチョコレート業界で打ち立てることのできる人物が現れる日を待ちたい。「新しいこと」を考え出す人の時代ですから、カカオサンパカの味でHotel Chocolat のようなフランチャイズビジネスが出現すれば私が真っ先に手をあげます。

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