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初めての海外旅行(7)

投稿日: 2008年7月27日

初めての海外旅行(7)

1965年6月15日。チューリッヒよりデュッセルドルフ経由でハンブルグへ。ドイツへはスウエーデン、デンマークへ行った帰りにも立ち寄るのだが、ここではイリス商会のハーダー氏(Harder)に大変世話になった。見学したところは数多くある。チョコレートの機械が実際に稼働しているとこ ろを見るために多くの工場を見学したのであった。

●コールマン(Coleman)はクリスマス、イースターのホロー(サンタクロース、ウサギ等のフィギュアーのこと)を自動的、連続的に製造するプラント工場で、スピナーマシンと呼ばれるものを製作している、PEA社(ここでは中空成形の機械を使ってボトル型のチョコレート・シェルをまず作り、 それにリキュールの液体を注入するするラインが稼働していた。大人のためのボンボン。)

●キャンデー一貫製造装置で有名なハマック・ハンセラーの工場見学

●ハマック・ハンセラーの営業部長に連れられ、カイゼル・カッフェの工場見学。(ハマック・ハン
セラーのキャンデー製造装置が実働していた。原料を真空釜で炊いて、ソフトキャンデー、フィリン
グ・キャンデー、ハードキャンデーが連続的に成型、個包装まで全自動で動く。全くの量産機なので
日本にも多数輸入されている)。

●バイエルマイシュター。ビュラーのドイツ版。ドライコンチェで有名。まだ日本には一基も入って
いない新製品。ビュラーと同じ一次加工の機械を作っている。カカオマスの粒子を細かくするレファ
イナー呼ばれる5段ロールが、ロッテには15基、ロータリーコンチェが20基も納入されていると
聞いた。さすがはロッテと、改めて畏敬の念を抱いた。

●ヘルツァ(Herza Chocolate)。 バイエルマイシュターの2連式のドライコンチェ、その他、デ
ポジッター、エンロバー、モグール・プラント等の実働中のラインが見学できた。

●シュルックヴェルダー(Schluckwerder)。チョコレート原料は外部から購入し、二次加工に専念
している。日本チョコレート工業協同組合の組合員には参考になるメーカーである。稼働中のフット
(Hutt Forming Machine)のフォーミング・マシンを見ることができた。

●クロイター(Kreuter)。エンロバー・マシンでは当時、ゾリッヒ(Sollich)と双璧であった。スタ
ーチのスタンピング・マシン、モグール・プラントはクロイターであった。

●クロイターが案内してくれたプリュス(Pruess)では、クロイターの小型エンロバーを使って素晴
らしいスペッシャリティを作っていた。

●ゾーリンゲン菓子専門学校。ヨーロッパの専門学校、就中、ドイツの全寮制学校。菓子協会、職人組合、労働組合が果たす教育訓練やマイスター認定試験。フランス、イタリア、スイス、デンマーク等、実態はどこも同じ。

●ミケルセン(Michelsen)。コペンハーゲンの二次加工のみのチョコレート工場。

上記の一々について書く必要はない。私にとっては大切な工場見学であったがプリュス以外は退屈な報告書になる。ゾーリンゲンの菓子専門学校については詳述したい。

6月16日、ゾーリンゲン菓子専門学校を兼松の徳永氏と訪れた。正式名称は「ZDSドイツ菓子レストラン中央専門学校」。
1951年に設立。学校の敷地、1万平方米をゾーリンゲン町会より入手。協会会員の出資金(330社)、政府補助金、本校卒業生、菓子業界の寄付金で運営されている。 入学資格は15歳以上でドイツ語を理解するもの。全寮制である。誤解を恐れずにいうと日本のよう にほとんどの学生が自分の将来像を描かないで漫然と高校から大学を目指すということはない。中学 を卒業して普通高校へ進学するものはたった3%しかいない。15歳までに自分の将来の進路を決断 してそれぞれの専門学校を選ぶ。家業を継ぐ子弟には専門技術の教育や研修だけでなく、経営に必要 な教育や実習も用意されている。学費は1年間、1500ドル。(1ドル、360円換算で54万円、昭和44年の小学校教員初任給は2万7100円―『昭和の歴史』別巻「昭和の世相」小学館)

専門学校も日本のそれとは全く違う。1学期は9月から12月まで、2学期は4月から7月まで、残り の期間は学校と予め提携契約をしている各工場へ派遣されて、実習を行う。学校内にある実習室で実 習するのではなく、学校で学習したカリキュラムにしたがって、工場で実習するのである。ゾーリン ゲン菓子学校の場合は3年コースで一人前の職人を育てるのが目的である。工場実習はドイツと英国 の2カ国で働かなければならない。

専門コースはチョコレート、プラリネ、キャンデー、ビスケット・スナックの4部門。どれか一つの コースを選ばなければならない。3~4日の専門的なコースがたびたび開かれるので、自分の選んだ コース以外の部門の学習を習得することも可能である。10年以上の実務経歴を持ち、26歳以上のも のに対して行われるマスター・コース(チーフになるためのコース)がある。先に述べた後継者養成コースはヨーロッパ各国のメンバー会社を見てまわり、実際のマネジメントを経営者から学ぶのだ。

職人を育てると同時に、マーケティングや経営についても学問だけではなく、メンバー企業をまわって実務実習ができる専門学校はユニークである。日本人から見ると羨ましい制度である。羨ましいといえば、学校の実習工場の設備も素晴らしい。一次加工設備はないが、2次加工設備はすべて新しい機械がラインとして入っている。ストレージタンク、ケットル、テンパリング・マシン、デポジッター、エンロバー、フォーミング・マシン、ドラジェ・パン、包装機、等々。

教科書も極めて立体的なもので、カカオビーンズ、ココア、スイートチョコ、ミルクチョコ、は現物がそのまま教科書に組みこまれている。1次加工の工程は透明フイルムに工程チャートと機械の写真が印刷されておりOHP(オバーヘッドプロジェクター)を使えば卒業者が、いつでも、どこでもすぐ教材として利用できるものである。チョコレートの歴史、カカオの栽培から収穫、ファーメント、選別、出荷まで写真、栽培地帯を示した世界地図に詳しい解説をつけた至れり尽くせりの全4巻構成である。(1992年版、ISM1992で入手したもの)

ヨーロッパ各地にある菓子専門学校は様々な短期のセミナーコースを公開している。若い職人たちは武者修行感覚で各地をまわって自分のスキルアップを図る。夏は涼しい北欧の学校、冬はイタリア、 スペインの学校を経巡り、各地の特産菓子を研究する。菓子屋の倅としてはヨーロッパの専門学校の制度が何もかも新鮮だった。

6月24日。さてプリュスの工場について書こう。この工場はハンブルグの高級アパートの2階にあった。間仕切りも家具もない200平方メートルほどの一室であった。こんな所にチョコレート工場があるなんて誰も思わない。よく営業許可が下りたものだ。2階のフロワーを全部、プリュス氏が買い取ったからチョコレートの放つ匂いに対する苦情はない。プリュス氏と娘さん、それに女子従業員が2名のこぢんまりした工場である。

300ミリ巾のクロイターのエンロバーとクーリングトンネルが部屋の壁に沿って施設されている。500キロのケットルはあるがテンパリング・マシンはない。しかし製品の艶は信じられないほど良い。夏のクーリングトンネルの温度は12℃、冬は16℃。室温、湿度との関係がチョコレートの色つやを決める。しかし、センターの材料やカバーするチョコレートの厚みによっても微妙な温度調節が必要だ。彼はチョコレートのテンパリングに関しては最高に研ぎすまされた感覚をもった職人だ。

マージパンを四角にカットするツールを自作していた。足踏みでカッターとベルトを回転させるオリジナルな道具で、2台あった。ドイツ人はなによりもマージパンを好む。フランス人の好きなガナッシュよりも甘くなく、噛むときのテクスチャーを愛している。見事なチョコレートの艶をだして、その上に2平方ミリの金箔を押す。ドイツにはない上品で、繊細な仕上げである。

中国から輸入しているという丸い生姜のコンフィーを薄く切って、チョコレートをカバーし、上面に木の葉のすじ模様をフォークでつける。ジンジャー・リーフと名付けたプリュスの逸品だ。原料が飛びきり良い。(その後同じような生姜コンフィーを探しているが今もって見つからない。)ドイツとイギリスでよく売れるという。どちらの国も料理が重いので胃が生姜を求めるのであろう。悪口はさておいて、ほんとうにジンジャー・リーフは美味しかった。水分活性値が高いので賞味期限は短い。

プリュス氏は面白い男である。彼は言う、とにかく、うんと良いものを作れば注文は自ら入ってくるものだ、と。そんなものを考えるのが俺の趣味だ。商売を大きくしたいとも思わない。親子でゆっくりやっていく。いくら機械が進歩しても人間の手や感覚に勝るものはないという自信に溢れていた。誰もが真似できないオンリーワンの製品をもつ者の余裕があった。好きなこと、得手なことで人生を過ごせる人は幸せである。私も幸せな気持ちになって辞去した。

                                        <つづく>

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