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みにくい内紛 

投稿日: 2009年1月11日

みにくい内紛    

1972年11月に大問題が起きた。ロリエット製菓から突如、ダイエーのピーナッツチョコ
レートの供給ストップを通告してきた。ヨックモックブランドのシガールが売れに売れ、商品
供給が間に合わない。それで12月1日から利幅の薄いダイエーのピーナッツチョコレートの
生産は打ち切りたいと言うのである。私は突然目の前が真っ暗になった。

当時日本チョコレートの社長はフランス屋製菓の社長、井上重夫であったが、ロリエット製菓
の社長、藤縄利一とそりがあわなかったようだ。日本チョコレートとしてはダイエーに対して、
ドル箱のピーナッツチョコレートを供給する責任がある。日本チョコレート東京営業所の責任
者と私はロリエット製菓に何とか供給をしてほしいと頼みこんだ。ロリエット製菓の内部では
会社がピンチに立たされたとき、日本チョコレート工業協同組合は何の救済策もない。だから
組合事業への協力より自分たちの得意先である三越への供給が先決で、日本チョコレートへの
供給ストップはやむを得ない。このような空気が支配的であった。

私としてはロリエット製菓に三越に対する供給責任の方が日本チョコレートより優先順位が高
いと言われると、彼等の言い分も理解できないではない。ロリエット製菓の内情が苦くなった
とき、日本チョコレート工業協同組合に唯一できることは、日本チョコレートに対してロリエ
ット製菓の製品を何とかダイエーに売り込んでほしいと依頼することであった。せっかく自分
たちが開発した会心のヒット商品を三越で欠品つづきは避けたい。しかし12月の繁忙期に突
然の商品供給の停止は常識はずれあり、ダイエーに対して合理的な説明ができない。

これはひとりロリエット製菓の問題ではなく日本チョコレート工業協同組合の問題であるとダ
イエーに判断されてしまう怖れがあった。そうなるとせっかく組合員が結束してようやくまと
まった6点のダイエープライベートブランドが振りだしにもどって、再び泥沼の価格競争に陥
る。

当時、ダイエーでのチョコレートの売りこみは熾烈を極めていた。カバヤ食品、フルタ製菓、
正栄食品、春日井製菓、日幸製菓等は一目も二目も置かねばならない相手であった。日本チョ
コレート工業協同組合のメンバーは彼等と対等に競争できるほどの価格競争力を持っていなか
った。われわれの強みは一つの窓口 (一帳合い) で様々なチョコレ ートのみならず、クッキー、
ビスケット、キャンデーまでもをPBとして引き受けられることであった。これはダイエーに
とっても便利であったに違いない。

12月のかき入れ時に供給ストップをダイエーに通告すれば今まで育ってきた6点のPBが瓦
解する危険性があると必死に藤縄社長に説明し、何としても商品供給を続行するよう口説いた。
ここで藤縄社長のだした結論は日本チョコレートの社長である井上社長が頭を下げてくれば供
給を継続してもよい、ということであった。これを井上社長に伝えたが、彼は頑として行こう
とはしなかった。同じ仲間としてシガールのようなヒット商品をだした幸運を素直に喜べない
嫉妬心があったのではないか。

職人の意地と意地とがぶつかる中で起きた事件は現場を周章狼狽させた。しかし初めから裏で
話がついていたことを知って愕然とした。井上社長は密かに日本チョコレートの株主以外のメ
ンバーと密約を結んでいたのだ。今後の生産は東京産業が引き受けるから心配するなというの
である。東京産業は日本チョコレート工業協同組合のメンバーであったが情報収集のために入
会しているにすぎない。組合の原料は毎年カカオマスを僅か1~2トン購入しているだけの存
在であった。

日本チョコレートの株主で組合員である有楽製菓もピーナッツチョコレートを製造していた。
当時組合の原料チョコレートを購入するメンバーの中で、前年比、伸び率ナンバーワンが有楽
製菓であった。有楽製菓はダイエーに対して何も販売の手がかりがなかった。有楽製菓の社長
は、もしロリエット製菓が供給をストップすれば株主である有楽製菓にくるものと思っていた。
しかし井上社長は有楽製菓の社長、河合志亮とも気が合わなかったようだ。ロリエット製菓に
代わって東京産業がピーナッツチョコレートを供給することを知った河合社長は大いに立腹し
た。普通、世界中どこでも、取引関係にある相互の人間関係は大して変わらないと思う。一般
的に日本ほど人の成功を妬む気持ちの強い国民はいないのではなかろうか。人の成功を素直に
喜ぶ気持ち、喜びを分かちあう度量が小さいと思われる。

そんな中、12月1日から唐突に株主でもない東京産業がロリエット製菓に代わってピーナッ
ツチョコレートを日本チョコレートの帳合いでダイエーに納品することが組合員に知れわたっ
た。東京産業の社長、冨永正夫は二代目ボンボンの「おやまの大将」で日本チョコレートの株
主とウマのあう人といえば井上社長以外にはいなかったのではないか。現場サイドからすると
全く不合理な供給者交代であった。東京産業から日本チョコレートに入る仕切り価格は93円。
しかるに、日本チョコレートからダイエーへの納入価格は90円であった。東京産業の社長は
12月の繁忙期に突然、井上社長から供給依頼があった。繁忙期に突然ラインを切りかえて製
造すれば、当然、「特急券」がだ、と原価割れの3円について強弁した。
この原価では日本チョコレートが採算割れで赤字になると私は強く抵抗した。東京産業の冨永
社長は赤字になれば株主が割り勘で補填すれば良いではないかとうそぶく始末。このような無
理がまかり通るのが悲しいかな協同組合の内幕であった。この論法は誰の目にも無茶苦茶だっ
た。代表取締役の井上重夫が同席する場でこの決定がなされた。これは重大な業務上の背任行
為である。当然のことながら有楽製菓の河合社長は猛反発した。私に有楽製菓の営業部長とし
て招くからすぐ日本チョコレートを退社しろと迫った。

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