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返品のないバレンタイン商品 - 本命にはあなたの手作りで

投稿日: 2009年2月8日

返品のないバレンタイン商品 - 本命にはあなたの手作りで  
菓子業界の最大の問題点は売れ残ったら直ちに返品となることである。催事商品でもクリスマ
スのデコレーションケーキは12月25日から価格を下げて販売しているが、バレンタインの
チョコレートはバレンタインデーが終わったその夜すべて売り場から撤去となり返品される運
命である。こんな理不尽なことはない。しかしこのような商習慣をつくったのは菓子業界の
過剰サービス(「残ったら返品してください」)で自らの首をしめたのだ。

1978年6月、ダイエー姫路店の野菜売場の主任が菓子のバイヤーとしてEOC(江坂オフィ
スセンター)に赴任してきた。私は彼に言った。野菜が売れ残ったら返品できますか。答えは、
否。ところが菓子はいつでも売れなければ返品が可である。チョコレートにとってバレンタイ
ンは最大の催事である。ダイエーの売上でもバレンタインの売り出し期間だけで20億円にも
なる。売れ残れば返品が条件ではダイエーのバレンタイン用のPB商品はつくられない。正直
にバイヤーに伝えた。

Mバイヤーは口数こそ少なかったがガッツのある若者であった。返品せずに売れるものを開発
するだけではないか。おっさんが考えることやな、とにべもない。つまりそのような商品を開
発して持ってこいと言わんばかりであった。この一言で後のお化け商品になるエクストラエク
ストラのひながたができた。

当時、市場は現在のようにスーパー、コンビニ一辺倒ではなかった。昔からの菓子屋があった。
売られていたチョコレートはNB(メーカーものと呼ばれる流通菓子)の板チョコやチロルの
チョコレート等が主流で中小企業のチョコレートは「棒チョコ」と「割チョコ」が定番であっ
た。オリムピア製菓は「良い品」、つまり純チョコレートの棒チョコも割りチョコも製造して
いた。しかしダイエーの仕入が商品部と名前がかわって「価格が高い」という理由でカットに
なった。

先にも述べたが植物性油脂を含まない純正の「良い品」と流通菓子のチョコレートについて再
度述べたい。(業界主導でできた「チョコレート類の表示に関する公正競争規約」は一般の消
費者には純チョコレート、チョコレート、マル準チョコレート、マル準チョコレート菓子の区                    別が極めてむつかしい。)純チョコレートと流通菓子と比べて前者の価格が2~3割高いこと                            は当然である。この品質表示は消費者側が合理的理由で決めたものではなく業界団体が自分た                  ちに都合が良いように決めたものである。(アイスクリーム業界にもラクトアイスなる表示基                         準があるのを皆さんはご存知ですか。)この自主規制はほんとうに美味しいチョコレートを日                              本の市場から追いだしてしまった。

[この問題については『欧州で決着した「チョコレート」の定義めぐる25年論争』(田中宇
の記事)を読むと参考になると思う。英国では19世紀から植物性油脂の混入が始まっていた
ことは先に述べた。スイスは再三チョコレートに植物性油脂を混入したものをチョコレートと
呼ぶかどうかを国会で審議しその都度その法案を否決した。日本のチョコレート消費量が22
万トンから伸びない理由は純チョコレートを排除して偽和商品であるチョコレートが大勢を占                  めていることに起因すると考える人は多くない。]

バレンタインチョコレートは1950年代、百貨店の催事で取り扱われるようになって徐々に
消費者に認知されるようになった。1970年代後半にはダイエーにあっても20億円という
かなりの売上を稼ぐようになっていた。Mバイヤーは明らかにオリジナル商品を欲しがってい
るように見えた。当時、「本命」という新語が週刊誌に現れだしたころであった。

ならばと「本命にはあなたの手作りで」というキャプションで、商品の割りチョコに手作りで
つくるチョコレートのレシピをつけて販売するプランを提出した。Mバイヤーは企画書に目を
落としただけで、おっさんの思うようにやったらええ、と即座にゴーサインをだした。クルボ
アジェのガナッシュチョコ、誰にでもできるチョコレートと果物を組みあわせた簡単レシピ、
ハートチョコレートの作り方、チョコレートフォンデュ、チョコレートドリンク等を印刷した
小冊子を売場に置いた。Mバイヤーは豪気な男でこちらが尻込みするような大きい注文をくれ                       た。

「割チョコ」の原料はオリムピア製菓の定番である日本チョコレート工業協同組合のミルクチ
ョコレートMS、スイートチョコS1を使った。17グラムのハートチョコを真っ赤なアルミ
フォイルで包装しリボンを両面テープで底面につけた簡単なおしるしチョコ(後に義理チョコ
と呼ばれる)。「恋の跫音」(こいのあしおと)と名付けた足跡を形取った3グラムのチョコ
レートをプラスチックの透明ケースに入れたバレンタインアイテムの3点で勝負した。オリム
ピア製菓のクレジットで商品がダイエーの陳列棚から消えて10年も経っていたが、消費者は
憶えてくれていた。店からバレンタイン前に追加注文が続々来た。試し買いした人が戻ってき
たのだ。

Mバイヤーは首をひねった。どうしてこんなに売れるのか、と。ここに量販店の落とし穴があ
る。私は生まれ育った環境によって本物とまがい物の区別をつけられない人がいると考えてい
る。父は自分の親兄弟や子供に食べさせられないものは扱わないという信念を持っていた。母
は16歳で孤児になったため叔母の料理旅館で調理から配膳までを鍛えられた。両親が旬のも
のや本物にこだわって子供を育てた。家庭環境は大切である。本物の純チョコレートは強かった。
説明は不要であった。消費者は「良いもの」を見わける嗅覚をもっているのだ。

本物はどれも美味しい。日本チョコレート工業協同組合の原料はどれも味に品格がある。仕様
書は最初に決めたものを使っている。カカオビーンズがいくら高騰しても同じ品質である。美
味しいものは誰が食べても美味しい。そのうえ飽きがこない。もう一度食べたくなる魔力を秘
めている。こんな基本的なことをMバイヤーに話した。Mバイヤーは売上実績を見て口を噤ん
だ。「本命」はバレンタイン総売上の5パーセントをとっていた。バイヤーに一目置かせるに
は実績をつくることである。あれほど大量に店に押しこんだにもかかわらず完売であった。

価格は2割も高いのに何故売れたのか、Mバイヤーはひとり考えていた。ダイエーのお客も三
越のお客も同じお客さんですよ、良い品が安ければ喜んで買いますよ、と言っても黙っていた。
彼はこころの中で明らかに何かと葛藤していた。しかし彼はその葛藤が何であるかを口には出
さなかった。しかし彼が菓子のバイヤーに在籍した3年足らずの間バレンタインチョコレート
のお化け商品、「本命にはあなたの手作りで」の割チョコは30年後にはバレンタイン売上の
10パーセントほどを占めるようになった。

1993年からベルギーのカレボーの原料を使った割チョコに切りかえた。カレボーの原料チ
ョコ、カレッツを新たに発売した。もうどこも相手にならなかった。三田のサントアンの社長、
塚口肇に出演してもらってチョコレートのテンパリングの取り方、トリュフ、プラリネの作り
方を実演するデモテープを作成した。製作は大阪ガスや関西大学の教育プログラムを作成して
いるオレンジパオの社長、亀井真人に依頼した。ダイエーの全店舗で上映できるエンドレステ
ープを使ったデモテープである。オレンジパオが用意したスタジオで塚口肇は入魂の演技をし
た。撮影もプロのカメラが2人入った。照明でチョコレートの温度がすぐ変わるので作業に支
障がでる。それを当時オリムピア製菓にいた機械のタイミングを調整する天才少女を起用しテ
ンパーをとり続けてもらって乗り切った。ビデオテープは上出来であった。もちろん商品にも
イラスト入りでていねいに解説した蛇腹折りの説明書をつけた。

ダイエーのバレンタインで特筆されるのは、1980年の「ベルばら」のバレンタインであろ
う。1月4日に書いたクローガーハウスの担当バイヤーが企画したプロジェクトだった。ベル
ばらの主人公、オスカルが等身大のディスプレーとなって全国全店で飾られた。全国の百貨店
の仕入担当者はさぞ度肝を抜かれたことであろう。1979年ダイエー吹田店がオープンした
年、池田理代子の漫画「ベルサイユのばら」を原作としたテレビアニメが日本テレビ系列で放
送されていたので、ダイエーの「ベルばら」は話題をよんだ。本件の立案は百頭社。このよう
なプロジェクトはダイエーでなければ実現できない。いまだにこれに敵うバレンタイン企画を
筆者は知らない。

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