Blog

輸入代理権

投稿日: 2009年2月15日

輸入代理権

ここで問題が起きた。輸入代理権を巡って予期した騒動が起きた。1993年のダイエーのバ
レンタインの割チョコはベルギーのチョコレートの巨人、カレボー社(チョコレートの原料メ
ーカーとして質量ともに第1位)の原料を使ったことは先に書いた。欧州のほとんどのチョコ
レートメーカーがカレボーと取引していることを誇りに思っている。しかし取引をしているメ
ーカーのガードは堅かった。国外に原料のまま輸出することはカレボーによって固く禁じられ                  ていた。

後に私のパートナーとなるポールダムズ(Paul Daems)は最大の努力をはらって日本に輸出してくれる協力者を探した。応じたメーカーがあった。それはロンドンのハロッズのOEMチョ
コレートを一手に請けているペーター・カレル(Peeters Karel)であった。ポールの友人で自
家用飛行機の操縦が趣味の男で、彼の飛行機に同乗する人間が友になった。彼は私がノイハウ
スを日本で立ちあげた人間でノイハウスに裏切られた後もベルギー・チョコレートに執心してい
ることを知ってコンテナ1本分の粒状(カレッツ)チョコレートの売買契約書にサインしてくれた。

価格は当時の日本チョコレート工業協同組合のミルクチョコMDやスイートチョコレートS1と
大差はなかった。同じチョコレートがニチメン・前田商店を通すとキロあたり1800円で4
倍以上の価格であった。工場出荷価格がキロ、420円としてリーファーコンテナ(18℃の
保冷コンテナ)で海上輸送する運賃、輸入関税35パーセント、その他の諸掛りを計算しても
高すぎる。概算で見積もってもキロ600円以下でおさまる。(当時円高で1ドルは90円前                  後であった。)

輸入したチョコレートはオリムピア製菓で割チョコに加工させた。前田商店のセールスマンが
オリムピア製菓を訪問したときカレボー社のカレッツチョコレートの外装袋を見つけ直ちにニ
チメンに通告。ニチメンはカレボーにクレームを申し立てた。1992年1月14日、カレボ
ーの輸出部長、ミドルホ-ベンと極東の代理権者、シンガポールの楊某が来日、ニチメンと前
田商店の4社が私をロイヤルホテルのスイートルームへ呼びつけた。

もともとカレッツはヨーロッパの零細企業用に製造されているチョコレートなのでコンテナで
購入したシャンテリー(ペーターカレル)がこのチョコレートを輸出した犯人であることをす
でに特定していた。私は悪びれることなく輸入した事実を認めた。世界で最も評判の高いチョ
コレートを輸入したのは日本の流通価格が高すぎること。ほんとうにこのチョコレートを愛し
ているならこの原料を愛する顧客が喜んで買える価格にすべきであると主張した。ニチメンは
代理権についてクドクドと説明し、直ちに直接輸入を中止することを要求した。また現在輸入
したものにもニチメンのインデント料(帳合料)を支払えと言いだした。私は文句があるなら
どうぞ裁判所に申し立てて決着をつけましょうと強気にでた。

ニチンメンはシンガポールの代理権者にも帳合料を払っている。日本での実際の物流は前田商
店がとり仕切っている。楊某もニチメンもペーパー処理だけで法外な利益を得ている。これは
19世紀の遺物ではないか。ダイエーと松下電器の30年戦争は小売とメーカーの対立である。
この戦いは仲介業と仲介業の戦いである。もし非があるとしたらカレボーが迂闊にも大量の
レッツをペーターカレルがどう処理するのかを調べなかったところにある。私はダイエーと松
下電器の戦いを思いながら一人高揚していた。結局、何の結論もでないまま物別れに終わった。

1月22日、当日の会談記録が郵送されてきたのを見るとニチメン株式会社大阪化学第3部と
前田商店が差出人になっていた。
戦後カカオバターは座薬や口紅の原料に使われていた。それで薬粧部が取り扱っていた。オリ
ムピア製菓も河野薬品(座薬のヘモジナールで有名)からカカオバターを買っていた。そんな
わけでニチメンもカレボーを食料品部ではなく薬粧部が扱っている。したがってチョコレート
に対する愛着心は生まれないのであろう。郵送された覚書は今もファイルの中で眠ったままで
ある。

ベルジャンチョコレートヨーロッパ(BCE)のポールダムズが1999年8月にデラファイ(Dellafaille)を設立しチョコレート工場を建設した。カレボーのリッキドチョコレートを原
料として購入。カレッツと異なるペレット状のチョコレートを製造して輸入を始めた。商品名
をエクストラエクストラと命名した。日本では不二家がエクストラで商標登録をしていたので
われわれには認可されなかったがEUで無事登録することができた。ふたたびニチメンと前田
商店がクレームをつけた。ここでもほんとうにチョコレート愛好家にこの傑出したカレボーの
チョコレートを広くしかも日本の流通菓子と競争できる価格で販売したいと思う「志」のどこ
が悪いのかと持論をまくしたてた。結論は堂々巡りで得られなかった。
このクレームは前田商店からニチメンに泣きついたものであろう。このときの会談では一部上
場会社としてあるまじき脅し文句で「月夜の晩ばかりではない」と凄んだので前回の時と違っ
てこちらが出口はそこですから、どうかお引き取りくださいと一方的に追い返した。

この割チョコとカレッツチョコはダイエーとしては長寿商品であった。これと同じものをわれ
われが提供できる価格で勝負するところはないからであった。カレボーと言ってもその工場は
30以上ある。楊某が関係しているであろうシンガポールカレボーの原料チョコレートはベル
ギー本社のものとは違う。たとえは悪いがつくる家によって違う鮒鮨の風味の差のようなもの
である。イギリスのレズメ、フランスのカカオ・バリー、スイスのカルマ、ドイツのシュトー
ベルクはカレボーに吸収されて同じカレボーの製品番号の原料を製造販売しているが明らかに
味の違いが分かる。われわれの強みはベルギーの本社工場から運びこまれるチョコレートを使
用していることである。

2007年にカレボーチョコレートと銘打ってセブンイレブンがカレ(グッドナイトチョコレートと呼ばれる5グラムの正方形の薄い板チョコ)を売りだしたが売れ行きが悪かったのかほどなく店頭から消えた。日本の消費者は口がこえていてカレボーのブランドに惑わされなかった。カレボーの原料チョコレートの種類は数百種類もありまさにピンからキリまである。失礼ながら品質の分からない問屋やバイヤーが扱えるものではない。

カレボーは2007年9月森永製菓の塚口工場を買収した。彼らは戦略的提携といっているがいかにも日本的表現でおもしろい。ここで製造するチョコレートのうち、9000トンを10年間にわたって森永製菓が購入するという契約も同時になされた。
さて、どんな味のチョコレートになるのか楽しみである。
蛇足ながら1985年から8年間にわたってスペインのチョコヴィックと水面下で戦略的提携を模索していた。結論的にはヴァローナの創業者の2世がチョコヴィックに製造依頼した「オペラ」の代理店になっている。明治製菓がスイスのスシャールの販売代理店になっている。

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

PAGE TOP