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V革(V字改革)のあと(1)

投稿日: 2009年2月22日

V革(V字改革)のあと(1)

三顧の礼をもって1982年、元日本楽器(ヤマハ)の社長、河島博が専務として迎えられ赤字に陥っていたダイエーを見事に再生させたことは周知の事実である。V革を実践するなかで中内功の経営手法を素人と言ってのけたことがその後の冷遇ともいえるリッカー管財人社長(1987年)、ダイエー副会長職(1997年)ではなかったか。私は幸いにも1994年ダイエーのアムステルダム事務所で河島副会長に会う機会に恵まれた。そのときの印象から次に述べるようなダイエーのリベート政策を彼が命じ業績改善をはからせたとはとうてい思えない。

V革の前後から毎年2月にはいるとB計と称するリベート交渉が始まった。年契(年間販売契
約)をしていない取引業者に対するリベートの強要に似たような行為であった。
菓子問屋と取引していたころ集金の度にリベートを強要されるのが嫌でダイエーと直取引をしたにもかかわらず、ここでも決算時にリベートをとって辻褄を合わせようとする卑しい商習慣が始まった。
売上1兆円の大躍進を遂げたころからダイエーの取引に強引さや卑しさが顕著になりだした。
日本青年会議所の菓子部会長であった赤福の社長、浜田益嗣がダイエーと取引するにあたって初回取引の際全店に1ケース納入すると同時にもう1ケース納入価格ゼロで納品することを条件にされた。一体こんなことにつき合っているダイエーの取引先はどうしたことかといって浜田は私に電話をしてきた。(この取引条件はデイリー部門の悪しき習慣だったが後に公正取引委員会から排除させられた。)

やっと2月のB計が終わってやれやれと思っていた8月、新任のチーフバイヤー、Uから突然呼び出しがあり、「とりあえず100万円持ってこい」という無茶な話があった。チーフバイヤーはデイリー部門の出身者であった。持ってこなければ取引はどうなるか分からないと脅された。聞いてみるとダイエーの取引先すべてにこの難題をぶっつけていることが分かった。
この突然の要求に業者は右往左往した。これまでと全く変わったダイエーの出方であった。
ダイエーの要求にはすべてOKするという従来の方針通り日本チョコレートは直ちに要求に応じた。
これは私の独断であった。 要求に応じたことはすぐダイエーとの取引先に知れわたった。取引のある問屋からは弱腰外交だとあざけられた。しかし日本チョコレートにとってはどんな要求にも応じなければならない
理由があった。ダイエーへの依存度が当時70パーセントあったので取引に何が起きるか分からない要求には応じなければならない。対策はその後で考える。(納入先の売上が1社で10パーセントを超えてはならないと葛野会長からやかましく注意されていたにもかかわらず常識はずれのダイエー依存度であった。) 100万円の効果は霊験あらたかであった。ほどなくその対策はダイエー側から示してくれた。

9月から毎月、日本チョコレートが提供しているPB商品を1品ずつマルA特売にするというのだ。マルAという特売は1ヶ月間、全国全店でエンドに大陳(大量陳列)して特売価格で販売するものであり、販売数量を全店で競わせるものである。毎月マルAに指定された製品は前年比何倍も売れる。その上、レギュラーの売場のフェースが従来よりも1フェース増え露出度が高まるというおまけまでついていた。どうだ要求を呑めばこんな対策をたててやるとすべての取引先に対する誇示以外の何ものでもなかった。

しかし同業他社からは即刻100万円の要求に屈したことに対する非難がごうごうとわき起こった。
明治製菓のダイエー担当者と話した。彼いわく、ダイエーが取引先と条件交渉をするとき
フェースの大きさしかないではないか。明治製菓はいくらフェース数を減らされても
100万円の要求には応じないという姿勢を貫きたいと言っていたことを今でも鮮明に憶えている。
ダイエーの購入姿勢は「太陽と北風」にたとえると北風政策ばかりであった。一度条件を呑む
と更に要求を押しつけてくる。「ここまでおいで、ここまでおいで」と崖っぷちまで追いこむ
といって江崎グリコのダイエー担当セールス課長には評判がよくなかった。 11月に翌年1月のマルA商品はピーナッツチョコレートだと通知があった。メーカーの東京産業は3シフトで生産しても年末年始の最盛期にダイエーだけに4000ケース以上は供給できないと言う。ダイエーの要求は年末に4000ケース、1月8日に6000ケースを納入せよとのこと。
前年同月の実績は2000ケースであった。その5倍の要求である。
東京産業はダイエーさん相手だから昨年の倍の4000ケースで勘弁してくれと相手にしてくれない。この時期に欠品を起こそうものなら取り返しはつかない。 万策尽きて考えた。仕方がない。どこかに救援を頼むしかない。Mバイヤーに会った。ストレートに尋ねた。PB商品だから御社の許可が必要です。年末年始に1万ケースの供給は無理です。
自分としては生産能力のあるメーカーに製造を頼もうと思っています。まだどこに依頼するか決めていません。どこか請けてくれるところがあればそこに頼もうと思いますがよろしいか、と。
Mバイヤーはおっさんがよいと思うところならどこでもよい。間に合わせることが肝心や、とすべてをわたしに任せた。
そこで意を決した。外注しても必要数量を確保するよう東京産業の専務に懇願した。
東京産業は頭からとりあわない。ダイエー仕様のピーナッツチョコレートを6000ケースも製造してくれる仲間はいない。では275*のモールドを2000枚ほど貸してほしいと頼むと、この時期にそんなメーカーがあれば貸してやるよとまるで高みの見物口調で応じた。
日本チョコレート工業協同組合のメンバーには東京産業に手を貸すものはいない。12月は日の経つのが早い。
[275のモールド=チョコレートを成型するモールドの横幅が275ミリの意味。]
<つづく>

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