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V革(V字改革)のあと(2)

投稿日: 2009年3月1日

V革(V字改革)のあと(2)            

日本チョコレート工業協同組合のメンバー以外のアウトサイダーで依頼できそうなメーカーを
列挙しては消去していった。最後に残ったのはシスコであった。シスコの社長、播磨伊之助は
父の友人でもあったが私が大学を卒業して松屋町界隈(大阪の菓子問屋街)でセールスをして
いるときよく会った。オリムピア製菓の長男息子やな、といって好意を持ってくれていた。彼
には息子さんがいなかったので父を羨ましがった。火事を起こしたとき現場に飛びこみ顔に大
やけどを負った。恐い顔をしていたが話せば人なつっこく好きであった。彼のことを次から次
に考えていると会う前に彼が請けてくれることをなぜか確信した。

クリスマスの翌日の9時播磨社長に電話した。社長に直接でないと話せない重要なことがある
のでお会いしたい、と。27日午後3時に約束がとれた。当日東京産業の出向社員、岩崎と一
緒にシスコに向かった。南海電車の中で岩崎は言った。シスコさんがほんとうに請けてくれる
と思っているのですか。絶対に請けてくれないと言い張っていた。時間通りに社長と面会した。
そして簡潔に東京産業の外注をお願いしたいと言った。ダイエーの口座を持っているシスコさ
んにお願いするのは心苦しいのですがと言葉を継いだ。ダイエーのPB、アニマルZチョコレ
ートの仕様書と東京産業のモールドを見てしばらく考えていた。

社長が電話で工場長を呼んだ。工場の掃除は済んだかと聞いた。工場長はすべて終わりました、
と答えた。ご苦労はんやったと社長。ところでここに来ている人はダイエーの仕事を持って来
はったんや。すまんけど正月休みは31日までや。元旦から仕事や。1週間で6000ケース
つくたってんか。工場長の顔は凍りついていた。私を射るように睨みつけた。このときの工場
長の表情はいまだに思いだす。一時沈黙があった。私は大声でありがとうございますと言って
頭を深々とさげつづけた。工場長は黙って社長室から退出して行った。緊張していた心と身体
から力がぬけていった。

突然社長が聞いた。ところであんさん、ダイエーが100万円もってこいと言ったとき、あん
さんは黙って最初に持っていかはったと聞いているけどそれは何でや。私は答えた。シスコさ
んは仰山の口座を持っていはりますけど日本チョコレートはほとんどダイエーだけで食ってい
ます、否も応もあれしまへん。大阪弁で会話は進んだ。シスコは100万円の話に応じていな
かった。この100万円はダイエーに対する忠誠度、否、従順度をはかる踏み絵みたいなもの
ではないかと答えた。わかった、それでこんなによぉけい仕事がきたんやなと呑み込みも早か
った。シスコは大幅にフェースを減らされていると社長は言った。100万円持っていったら
ケロッグより広いフェースをもらえるんやなと、ひとり合点していた。

ともかく肩の荷がおりた。しかしダイエーの圧力のかけ方には納得がいかなかった。なにより
も「よい商品を、どんどん安く」の標語はお題目化してきていると感じた。中内功も河島博も
知らない現場が堕落していっている。私は暗澹たる気持ちで帰途についた。納入する目的のた
めに未知の工場で6000ケース(12万袋)を生産することに後ろめたさを感じた。その年
の12月、1ヶ月の売上が1億円を突破した。経理担当の岩崎は奇声をあげて喜んだ。私は心
あるダイエーの社員が仕事完遂のため次々に病んでいく姿を見たくない気持ちだった。

「よい品」とは何か。何度も自問自答した。花森安治の「暮らしの手帖」に書かれている「よ
い品」、磯部晶策の「食品を見わける」(岩波新書)のなかの「よい食品」を何度も読み返し
た。この「食品を見わける」の新書本をダイエーの課長やバイヤーに配ったのはこんな時であ
った。

製品が間に合わないことは珍しいことではない。品切れさせれば済む。代替品はいろいろある。
しかしセブンイレブンでは欠品、未納、遅納は理由の如何を問わず罰金(売価返品)である。
ファースト製菓の社長からセブンイレブンの口座も日本チョコレートに移譲されたが契約書に
あるこの文言をみて取引はしなかった。流通業界は1985年前後から販売する側と供給する
側の間で不信感が異常に増殖していった。よい品は製造するのに準備が必要である。良い品を
作るためにはよい計画、手順が要る。しかるに契約らしい契約が存在しない菓子の世界である。
実際にあった話であるが、5万個売りたいが2万個しかリスクはもたない。5万個を売り切る
ことができなければ3万個はひきとってもらいたいというのだ。そんなのは商売ではない。何
もかもが1990年代から変わってきた。

ダイエーのPB商品、オリジナル商品は売上実績のあるNB商品の真似商品が多くなった。真
似をされたメーカーはダイエーにクレームをつけず、製造した日本チョコレートに内容証明郵
便で工業所有権(商標権)を侵害しているから即刻販売を中止するよう迫ってくる。その解決
には神経を使った。日本チョコレート工業協同組合のメンバーであるレーマン製菓やモロゾフ
の場合は製造している同じ組合員に対する牽制の意味もあってどうにか円満に解決できてもデザイ
ンがそっくりの名糖産業のアルファベットチョコや味覚糖のバターボールの事案につい
ては同じように解決はできない。売上至上主義の行き着く先はそっくり商品の乱造であった。

名糖産業は私自身が訪問して何とか穏便に済ませてほしいと話をつけることができた。後に名
糖産業は日本チョコレートにとってなくてはならないサプライヤーになったことは先に書いた
通りである。しかし味覚糖の場合は全く予想もしない方向へ発展した。世にいう「井戸ほり屋」
の悲哀を嫌というほど味あわされることになった。

このような不合理な取引関係が続くとこちらの神経もおかしくなる。些細なことで担当バイヤ
ーを飛び越えて課長が直接電話で怒鳴りこんでくる。帳合い変更やメーカーとの直接取引が頻
繁におきる。いくらダイエーのV革が成功しても取引先には何の利益ももたらせない。恥ずか
しながら私は一時電話恐怖症になった。電話が鳴ると受話器をとることができない。阪大病院
の神経科に通った。
<つづく>

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