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不惑(1)

投稿日: 2009年4月19日

不惑(1)    

1977年9月28日、42回目の誕生日を迎えた。私の気持ちは重かった。子曰 吾十有五而志乎學 三十而立 四十而不惑 五十而知天命 六十而耳順 七十而随心所欲 不踰矩。自分は42歳になっても自分の思うような経営ができないばかりか日本チョコレート工業協同組合の共販事業の片棒を担いでいるに過ぎない。いつになったら自分は独立できるのであろうか。日本チョコレートに出向したときから考えていたことであった。

チャンスはいつ巡ってくるか分からない。チャンスがきたとき即応するためにいま何をすべきか。大阪青年会議所の瓜坊会(昭和10年生まれ)の仲間から厄落としにふたたび山への登頂を呼びかけてきた。私はそんな神だのみは性にあわない。私は自分の流儀にしたがって神詣でには行かないと断った。仲間がおまえの流儀は一体何かと問う。とりあえず禁煙する。ゴルフはスポーツではないのでやめる。ゴルフの代わりにヨーガをする。と、こんな憎まれ口をきいて自分の流儀を貫いた。

国際青年会議所(JCI)のリーダーシップトレーニング委員会はポール・J・マイヤーに依嘱してJCIのためつくったリーダーシップ・イン・アクション(LIA)をつくった。日本でも全会員に実践するようすすめた。私はこの際LIAを徹底的に極めようと思いマイヤーの集大成であるSMIのプログラムを購入した。当時大阪市本町にあったイケマンの専務、平岡和矩がSMI購入者のためにオリエンテーションを夜間に行っていた。このクラスに出席した。オートバックスの社長、住野敏郎も机をならべていた。[平岡和矩はそれ以来私の私淑する経営の師匠となった。芳村思風が福永光司先生亡き後の人生の導師となった。]

ヨーガとカンツォーネはどちらもこの年から始まった朝日カルチャーセンターのクラスに通った。ヨーガはかしいけいこ、カンツォーネは布埜秀昉に習った。かしいけいこはNHKの講師としてテレビ番組に出演していた。彼女は朝日カルチャー教室に師匠、佐保田鶴治(大阪大学哲学科名誉教授)を定期的に招いた。おかげで彼の謦咳に接する機会をえた。私は16歳の時に余命20余年と主治医にいわれたほど病弱であった。佐保田先生も肺結核や神経痛を患うなど病弱であったが大学退官後62歳からヨーガを始められ強健になられたよしをうかがい積極的にヨーガと取り組んだ。かしいけいこも偉大な指導者であった。主治医に40歳まで生きたら儲けものだといわれたが今なお壮健であることはヨーガのおかげである。

この年、私の子供は13歳、12歳、10歳の3人。上2人の女子はピアノを習い、下の長男はバイオリンを習っていた。収入は十分でなく妻がピアノを教え共働きで学資を稼いだ。私は病弱を克服するため子供たちと朝2キロのジョギングとヨーガの基本体操を淀川の河川敷で行った。しかしこの良き習慣もダイエーの疾風怒濤のような業務の連続で3年ほどしか続かなかった。子供たちがどんどん運動能力を伸ばしその成長についていけなかったからでもある。42歳までの半生はそれからの半生とくらべると比較にならないほどストレスの連続だった。朝のジョギングもそうであるがそのうち歌うことも中断しなくてはならなくなった。

SMIはアメリカのハウツーものの極めつきである。自分の夢を実現するために六分野の目標設定をする。六分野とは経済・職業面、健康・身体面、家庭・家族面、教養・教育面、社会・文化面、精神・倫理面。六分野についてはそれぞれについて質問形式で書きこんでいけばきめの細かい目標が設定できる仕組みだ。自分でたてた目標を心に刻むことを習慣化し常にどう決断するかの心構えをつちかうプログラムである。私の営業規範は大学を卒業したころに読んだフランク・ベトガーの「私はどうして販売外交に成功したか (Life & business series)」による。フランク・ベトガーはフランクリンの「自叙伝」を模範にした。このフランク・ベトガーもSMIの講師陣の一員であった。

“Whatever you vividly imagine,

ardently desire, sincerely believe, and

enthusiastically act upon…

must inevitably come to pass!”

Paul J. Meyer

鮮やかに想像し、熱烈に望み、心から信じ、魂をこめた熱意をもって行動すれば何事も必ず実現する。

ポール J マイヤー

SMIをやって得た最高の心構えは次の言葉であった。

Get up and leave the passing world’s regret,                                           Be glad and make a moment pass in glee:                                           If the world’s nature had a hint of fidelity                                             Your turn would not come for you at all, as it did for others.                                     —124 stanza from “The Rubai’iyat of Omar Khayyam”

さあ、起きて、嘆くなよ、君、行く世の悲しみを                                      たのしみのうちにすごそう、一瞬(ひととき)を。                                     世にたとえ信義というものがあろうとも、

君の番が来るのはいつか判らぬぞ。—オマル・ハイヤーム作 

小川亮作訳「ルバイヤート」より124節

SMIのテキストにオマル・ハイヤームの名を知った。恥ずかしながら私には初めての名前であった。早速岩波文庫の「ルバイヤート」を買ってきた。小川の翻訳はアラビア語から翻訳したものであるから日本語訳は正確にちがいない。しかし日本語訳は釈然としないところが多い。ペンギンブックスの英訳本を丸善でみつけ購入した。英訳したものを読むと具体的にそして明快に理解できた。上に示した124節の “If the world’s nature had a hint of fidelity / Your turn would not come for you at all, as it did for others.” という詩句が頭から離れなかった。

オマル・ハイヤームはゲーテのような多才な人物だ。日本で言うなら平賀源内のような万能の人であろうか。正確な暦をつくったようにかれは学問を好んだ、学者、思想家、詩人であった。時代をこえた人物であった。にもかかわらず、その彼が「君の番が来るのはいつか判らぬぞ」と自嘲的である。厭世的でときに刹那的な詩もある。私がいくら失敗して痛い目にあい続けたときでも、この言葉が私を支え続けた。

<つづく>

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