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ニューヨークのバレンタイン(8)

投稿日: 2009年6月28日

ニューヨークのバレンタイン(8)   

メーシー(Macy’s)とギンベルズ(Gimbels)

ニューヨークのブロードウエーに隣接してメーシーとギンベルズはある。アメリカを象徴する異
なる所得階層を照準にしたふたつのデパートメントストアである。メーシーはその規模において
ロンドンのハロッズより大きく世界一である。敷地は19万平方米でワンブロックを占める。客
層は中産階級から上昇したいと願っている人たちと高所得者層をターゲットにしている。創業は

1858年。
ギンベルズは所謂バジェットファミリーと呼ばれる階層にのみ照準を絞った百貨店である。ギン
ベルズの創業は1887年、1987年に閉店。ギンベルズを象徴するもの、それは「ソウル・
シザーズ」という黒人女性専用のヘア・サロンであろう。メインフロアが一望できるプロムナー
ドに位置するこの店は黒人女性の髪の性質や頭の恰好に合わせて調髪とスタイリングを行う。こ
の店をみて私は息をのんだ。ギンベルズの客層は有色人種でひしめている。単一民族、単一言語、
一億総中流意識の日本ではこのような店舗は存在しえないであろう。ギンベルズの営業政策を複
雑な気持ちでひととき立ちすくんで観察していた。

メーシーは1974年までは時代に乗り遅れた百貨店に過ぎなかった。幾多の買収と合併に明け
暮れ営業面がおろそかになっていた。百貨店は金にケチケチしないおしゃれを気にする独身者を
対象にする時代に変わってきたのだ。1974年にCEOに就任したフィンケルシュタインは、
「店の個性を創るのはプレゼンテーションである」と唱え、バーゲンの常設売場であった地階を
一新して1976年「セラー」(Celler)を創設した。1軒1軒が味のある12軒ほどのショッ
プ・イン・ショップをつくった。地下1階、「セラー」の中央で陶土のロクロを回して陶工が新
しい食器を作っている食器の専門店があるかと思えば、出来たてのプラリネを売るチョコレート
専門店「ゴディバ」がある。「パテ」と「パスタ」を気軽に食べられるバーがある。調理器具は
上の階から「セラー」に移動してきた。洒落た器具と食器を陳列した。その中央には19世紀末
の本物の馬車を展示しその中に銅製のポット類を陳列してある。現代版画のギャラリーもある。
このメーシーの変身に、ブルーミングデールは驚くと同時に時代の変化にだしぬかれたことを
悔んだ。早速自分たちの地階の改造に取り組んだ。こうしてニューヨークの百貨店間で本来あるべ
き正しい競争が始まった。フィンケルシュタインはメーシーの強みを遺憾なく発揮させた。それ
は気取らない、親しみのある地階の店員たちをそのまま「セラー」に配置したことだ。主婦を中
心とした店員はメーシーの宝であったことを彼は十分認識していたのだ。このヒューマンウエア
ーこそ真似されにくい貴重なメーシーの資源である。個性あるプレゼンテーションは一夜にして
創造できるかも知れない。しかし店員の接客技術は長年かかってメーシーの風土がつくりあげた
ものである。一朝一夕に気持ちのいい店員は育成できない。ギンベルズから流れこむバジェット
層や中流層と、アップグレードした店にふさわしい高所得者層の全てを店員たちはごく自然な態
度で応対した。

P.J.クラーク (P. J. Clark) がテナントとして出店を要請された。この店はアッパーイース
トサイドで有名なパブであった。私たち夫婦はここで昼食をとった。店内は19世紀のアンティ
ックな内装が施されていて木製の壁やテーブルは何とも言えない暖かみのある雰囲気があった。
マクドナルドのようなファーストフードが溢れているこの界隈にあって群をぬく風格があった。
ここには西部開拓時代の本当のアメリカの味はこんなものであったかと思わせるスナックを提
供していた。私たちは滞在中ここで2回いろいろなものを試食した。売りもののハンバーガーは
よくグリルされていたがジューシーな肉を使っていて逸品であった。ナンとカレーは歩き回った
あとの疲労にカツを入れる強いスパイスがうれしかった。エッグズ・ベネディクトも半熟の卵が
疲労した胃袋に優しかった。

[しかし、この店は「セラー」から退店してしまったようだ。劣悪なファーストフードに
飼育されてしまった現代人には咀嚼して美味しさ楽しむ習慣がなくなってしまった。]

「セラー」の成功はフィンケルシュタインを天才と崇められる存在に上せ変えた。全館を地階で行
ったコンセプトのもとに改装していった。いちばん驚いたのはエスカレーターであった。金属プ
レートを取り除いて何十年か前にリニューアルしたときの元のすがた、板張りに戻したのである。
磨きあげて艶のでた木肌のエスカレーターの出す音は、大正時代の日本の百貨店がこうだったの
であろうと思わせた。大きな柱も柱回りの新しい素材を剥いでもとの大理石の肌を見せていた。
改装は私が行っているときも続いていた。開店中にもかかわらず覆いもせず工事をしていた。こ
れは日本人から見ると奇異に映るがこちらでは誰も気にとめるものはいないようであった。閉店
後の夜間作業より効率的かつ合理的である。このあたりの合理性は日本にはない。

[大正14年の三越大阪店に木造自動階段があったと、父の記録に残っている。]

家具売場で家具を買った客に対して、買った家具にぴったりのインテリアデザインを無料で作成
しているのはブルーミングデールの「モデル・ルーム」と同じであるが、はて、どちらが先だっ
たのか興味のあるところである。どこの百貨店も販売している品目は似たり寄ったりで大した変
わりはない。「当店だけの商品」の時代は終わったのだ。(日本では21世紀になっても当店だ
けの商品と声高に叫んでいる!)「店の個性を創るのはプレゼンテーションである」と喝破した
フィンケルシュタインは天才あつかいされるのだ。

さて、ギンベルズにもどろう。ひたすら階層社会が厳然と生きているアメリカにあって「大衆百
貨店」に徹している。大衆を惹きつけるマグネットは特売(セール)である。週末の特売「スーパ
ー・サタデー」と「サンデー・スマッシュ」、閑散期の1月と8月に行われる「ホワイト・セー
ル」がそれだ。ギンベルズは高額所得者層へのアプローチは控え、バジェットファミリーに的を
絞っている。私が訪問したのは2月13日の日曜日であった。1階の特売場はすさまじい熱気が
爆発している人の群れ、群れであった。そこへ近づくことだけでもたじろがずにはおられない。
これほど大衆を意識したマーチャンダイジングが可能なアメリカ市場、否、その大衆性に徹底し
たギンベルズの経営方針に感銘した。言葉としてマーケットセグメンテーションを知っていても
これほど明確にこの言葉の意味を骨の髄まで実感させる売場はここだけだ。

1930年代、ギンベルズは国内7都市に旗艦店を擁し世界最大の百貨店であった。1965年
には22店舗のギンベルズと27店舗のSAKSを経営していた。先に述べた高額所得者に的を
絞ったSAKSと大衆百貨店のギンベルズの両端の小売業を営む経営陣は、どんな人たちであっ
たのか。しかし1987年、創業から101年目でギンベルズは清算に追いこまれてしまい今は
ない。

1973年にBATUS(British-American Tobacco)という巨大コングロマリットに買収され
てから雲行きが怪しくなったらしい。BATUSはアメリカで最古の百貨店、実に南北戦争の始
まる前の1852年に呱々の声をあげたマーシャルフィールズ(Marshall Field’s)も傘下にお
さめていた。2006年にメーシーが買収してマーシャルフィールズも市場からその名が消えた。
多くの小売販売業は買収・合併をくりかえし血みどろの戦いを続けている。その波が日本にも訪
れるに違いない。

アメリカの煙草会社は将来、消費者が喫煙を許さなくなるであろうことをいち早く嗅ぎとってギ
ンベルズに続いて世界的規模の大きな買収劇を演じるようになった。わがチョコレート業界もア
メリカの煙草会社のフィリップモリスがジェネラルフーズを買収(1985年)したことに端を
発し、いまではこの会社の食品部門の規模はネッスルに次いで世界第2位の大きさである。

<つづく>

参考:マキシン・ブレイディー著「ニューヨークベスト200店」(ツタガワ・アンド・アソシエーツ)

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