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「ヨーロッパの食とギフトを学ぶ研修旅行」(2) 

投稿日: 2009年9月20日

「ヨーロッパの食とギフトを学ぶ研修旅行」(2) 

モロゾフのお手伝いをしているチューリッヒ在住の日本女性、2人の方々がチューリッヒ滞在中
のわれわれの面倒をみてくれることになっていた。昼食に招待してくれるオビさんは彼女たちの
友人である。通訳を買ってでたのはアウエハント静子女史。チューリッヒ大学の教授夫人。自身
もかつて同大学で日本語を教えていた由。知的であると同時に四柱推命にも造詣が深く、間口も
奥行きもある才女である。教授の司書役、アダチ・マリコ女史は日本にいたときは歌舞伎狂であ
ったが、スイスに移り住んでからはオペラ狂となり、年に2週間ある休暇にはヨーロッパ各地の
オペラハウスをわたり歩いているという。

オビさんはチューリッヒの学校の校長先生である。息子は大工さん。ホスト側はオビ夫妻、息子、
娘、奥さんの友人、娘の友人、モロゾフの現地委嘱社員2名でわれわれ21名を受けいれたので
ある。これは住居のスペースが日本と比べものにならない広さがあることによる。日本の平均的
な学校の先生方が住んでいる住居では例外を除けば無理である。出された料理はすべて家庭の温
かい心のぬくもりに溢れていた。ご主人が暖炉で焼くスペアリブは特に美味かった。この家庭独
自のタレのうまさが、まるでわが家の料理を食べているような錯覚を起こさせた。みな腹いっぱ
い食べて長旅の疲れが一瞬にして吹き飛んだ。

この初っぱなからのホームパーティーは今回の白眉のひとつであった。私はいまでもオビ夫妻と
はおつきあいしている。1988年には家族全員でお邪魔した。娘ふたりがピアノ演奏をし、私
は歌った。音楽が何よりも好きな家族である。その後もチューリッヒに行くと連絡を取り合って
いる。30数年経った今、たがいに歳をとった。しかしおもてなしの心は変わらない。

A班はオノルド(Confiserie Tearoom Honold)を訪問した。ショップのショーウィンドーはイ
ースターエッグがみごとに飾られてあった。オノルド社主のインタビューで明らかになったこと
は、この店の年商が6億円であること。従業員は80名。一人、750万円の年商である。家賃が日
本と比べて高いのか、安いのか。従業員の給料が日本と比べてどうなのか。詳しいことは時間の
関係で聞き出せない。300平米程の建物の1階はショップとティールーム、2階はティールーム
と一部工場、3階と4階が工場である。キルシュ(Kirsch)に漬けられたチェリーは1リッター
瓶で20個ほどあったが、その棚にあるだけのものを売り切ればよしとしている。このおおらか
さから察するに儲かっていると感じられた。前にも書いたが、やはり食べ物屋は裏で作って表で
売るのが一番よい。おやじの目が行きとどいているので「私は知りませんでした」などという無
責任な発言はない。

今回の参加者はメーカーの人が多かったのでスイスとパリで訪れることになっている製菓器具、
製菓材料の専門店は特に興味深かったであろう。東京の合羽橋や大阪の道具屋筋にない新しい提
案商品(道具)に夢中になって店員に次から次へと質問を浴びせかける参加者がいた。1927
年創業の Thalmann+CIE が店名である。私も伝統的なスイスのチョコレートモールドを1枚
手に入れた。

バンホフシュトラッセのシュプルングリ(Sprungli)は1965年に感動をもって見学したが今回
は新しい驚きも喜びもなかった。ディスプレー等、何ら変わっていないからである。まるで時間
が止まったような錯覚に陥ったようであった。イースターの商品に切りかわるところであった。
トイシャー(Teuscher)も同じように最初に見たときの鮮烈な印象はない。ニューヨーク店よ
り少し広い程度のミュンスターガッセ店を見た。大雪にもかかわらず次々と信じられない位の人
が入ってくる。

17時30分より松宮隆男コーディネータによる第1回勉強会が始まった。彼は私がソニークリエイ
ティブのバレンタイン商品を開発した経緯について5分間にまとめて発表してほしいと突然の
指名である。発表した話のキーワードを上手に使って「商品づくり」の講義を行った。講義録の
なかから私が気になったフレーズ、つまり開発担当者にヒントとなる言葉を下記に伝えよう。

l 贈るモノより贈り方でプレゼンテーションする。

l 感性が勝負。「涙を流しながら創れ」 作る、造る、創るの意味について考える。

l 『そんな物は、ほんの僅かな人しか買わない』と言う間違い。

l 井上優のライフスタイル「マーチャンダイジングの手法」から、「コンヴィーヴを楽しむコン
ヴィーヴ・エイジ」を解説。*1

l 「コンヴィーヴを楽しむ」というキーワードはその当時のモロゾフの主流テーマであった。

l 「生産の技術」と「生活の技術」の組合せが商品企画である。

l 「ロングセラー」がなければ商売はできない。

l 菓子の製造段階で「発酵」技術の応用ができないか。

l 「品種別発想」から「生活発想」へ。

l アマチュア主義からプロフェッショナルへ。「素人芸」から「玄人芸」へ。「手づくり商品」
がすたれ「職人商品」が流行する。「日曜大工」が減り「徒弟志望」が増えるでしょう。
モロゾフがこのような「研修旅行」を企画し実行した裏にはモロゾフ側の切実な強い意図があっ
たに違いない。日ごろ顔なじみの菓子屋のプランナーが集まって互いが触発しあって新しい食と
ギフトの新しいアイディアを得たい、という思い。全国の百貨店が東横百貨店の真似をして、次々、
同じような名店街を導入していった。モロゾフの菓子はもはや珍菓でも銘菓でもなくなった。あ
る人が熊本へ帰郷するにあたってモロゾフの菓子をみやげに持って帰ったところ、わざわざ神戸
から買って帰らなくても熊本の鶴屋百貨店に売っているよと、言われた。

銘菓、珍菓は全国展開するとこのような手痛いしっぺ返しを受けるのである。資本主義社会の常
として売上は毎年成長させなければならない。安易に百貨店の名店街に出店していくと陳腐化し
てしまう。コモディティ化した銘菓はタダでもほしくなくなる。
このような「モロゾフ商品の陳腐化現象」に対処するため井上優をコンサルタントに迎えブラン
ドの多角化を進めていったようである。面白いことにソニー系列でもいくつもの実験があった。

「アメリカンブラウニー」を東信彦社長自ら数寄屋橋店の店頭に立って焼いた。ソニー本体から
スピンアウトした人間がスパゲティを茹でる装置を考案し赤坂一ツ木通りにあった実験店のカウ
ンターで食べさせた。ソニークリエイティブプロダクトでは本来は化粧品、雑貨中心の取扱商品
ながらバレンタインにチョコレートを売ろうとしたりしていた。すでにあらゆる分野で商品のコ
モディティ化は一般的になっていた。

研修が終わって、20:00~23:00「ヴィザヴィ」(Vis-a-vis)というレストランにランドルト一家
(総勢10名)を迎えての会食を行った。食事が終わって長い一日が終わった。

<つづく>

(注)*1 コンヴィーヴはラテン語の conviva/convivo から食卓仲間を意味する。

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