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「ヨーロッパの食とギフトを学ぶ研修旅行」(5)

投稿日: 2009年10月11日

「ヨーロッパの食とギフトを学ぶ研修旅行」(5) 

昼に聖フランチェスコ教会に到着。教会の前のピツェテリーアにはいってピッツアを食べた。
永年イタリアでピッツアを食べているがここのピッツアが天下一品であった。芥川製菓の大谷、
ランドールの茂木、それに私もお腹をこわし青い顔をしていたがここのピッツアだけは食べる
ことが出来た。この店は残念ながら今は閉店してない。
昼食がすんで聖フランチェスコ教会の見学。この見学もこの旅でなければ味あうことの出来な
い経験であった。ここは詳しく書いている暇がない。先を急ごう。時間をかけて見学をしてテ
ルニのホテルに着いたのは17時を過ぎていた。
テルニはウンブリア州のなかでは大きな工業都市のひとつであるが宿泊先のホテル、フォンテ
ガイアは郊外の山かげにある洒落たリゾートホテルである。オーナーの趣味をいかしたプチホ
テルで4星や5星の都市型ホテルにはない良さがある。

モロゾフは早くからバレンタインデーのチョコレートをお祭りとして成功させるためには「神
さま」が必要であると唱えていた。そこで目をつけたのたのがウンブリア州であった。州都は
サッカーの中田英寿で有名になったペルートルジャ。典型的な城砦都市である。城砦都市といえば
オルヴィエートにはイタリア伝統のゴシック建築の粋を集めた大聖堂が町の中心に天空高くそびえ
立っている。アッシジの聖フランチェスコ教会、お祭りで有名なフォリンニョ、町がまるごと
博物館のような美しい町、スペッロ、石造りの里、コレッピーノ、ドゥエモンディーという国
際音楽コンクールを行っているスポレート、そこにはエルモ・デル・グラーツェというラファ
エロが修業したといわれる修道院がある。そのとなり町が聖バレンチノ教会のあるテルニであ
る。それぞれ性格の異なったウンブリアの町々に「中世・愛の小径」と銘うってバレンタイン
の神さまのキャンペーンをモロゾフは孤軍奮闘していた。モロゾフの広報誌「スイートランド」
でさらにくわしく書いている。

バレンタインの販売期間中に懸賞募集を行っていた。期間中に「愛の詩」を募集して優秀作品
に選ばれるとウンブリア「中世・愛の小径」を経巡って「愛の神さま」のおわします聖バレン
チノ教会への巡礼の旅を景品として提供した。景品法の制限があって旅費の一部は入賞者も負
担した。非常にハイブラウな企画で私は好感をもっていた。しかし現実の日本のバレンタイン
は猥雑な商品であふれ、消費者もチョコレートは何でも良い、見た目が「可愛いか」、「マス
コミで囃し立てている」ものであれば何でもよかった。歴史や文化と一切関係のない若者文化
にモロゾフは立ち向かっていた。
フォンテガイアはモロゾフの迎賓館のようなものであった。ここまで来るには、モロゾフはテ
ルニ市観光局と幾年も打合せを重ねたに相違ない。観光局にも、また教会にもコウベ・モロゾ
フとコラボすることに3者3様の思惑があって合意に達するまでのプロセスは大変であったと
思う。今回の旅のバックグランドを話しておかないとこれから始まるテイスティングパーティ
ーの模様を話せない。

7時から今回のメインイベントのような行事が始まった。イタリアのドルチェ(dorce お菓子
のこと)好きは日本の菓子業者にはたまらなく羨ましい。髭をたくわえた40代の男が、リス
トランテに入ってまず見るのはドルチェの棚である。最後にこのドルチェが美味しく食べられ
るだけの胃袋に余地を残すために見るのである。このことは前にも書いた。

テルニ観光局が事前に町中の菓子屋に声をかけて自慢の逸品を持ち寄らせたようだ。このイベ
ントへの参加要請の声を聞いて集まったのはテルニだけではなかった。フォリンニョからも来
ていた。20名ほどの菓子屋の主人が集まった。イタリアワインを飲みながら菓子の試食が始
まった。イタリアの菓子は何にでもアマレットの香りがする。しかしここテルニの小さな菓子
屋では黒トリュフの強烈な香りをチョコレートに閉じこめられた珍菓の逸品があった。主人は
言った。量産がきかない。ここでたくさん食べていってください、と恥ずかしそうに言った。

ISMでトリュフチョコといって販売しているものは香料を使ったもので美味ではない。
テイスティングパーティーが済んだところで小嶋健二が歌った。歌劇からのアリア、軽いナポ
レターナを歌い、大いにうけた。イタリアと言えば、マンジャーレ(食べて)、カンターレ(歌
って)、アモーレ(恋をして)と相場が決まっている。歌が終わったところで食事になる。終
わるのは22時を過ぎる、そこからドルチェである。普通の日本人にはついていけないテンポ
である。フローレンスで食べたフィオレンティーナビステッカの量目が多かったのか、私もネ

アカの茂木も腹をこわしていた。ドルチェの出る前に退席して部屋に戻った、
イタリアはまだ食事のスタートが早いほうでスペインのガレイシア地方では夕食の始まる時間
は23時からである。どんなに早く終わっても2時になる。朝、仕事で8時に迎えに来るので
日本人にとってヨーロッパでおよばれされるのは嬉しくもあり、つらくもある、と言うのが本
音である。小嶋健二がホストとして甲斐甲斐しくわれわれの世話をやいた。ふだんバリトンの
主役では世話をやいてもらう方であるから、彼の世話のやきかたは非の打ち所がなかった。

<つづく>

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