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「ナショナルブランドとプライベートブランド」(6)

投稿日: 2010年1月10日

「ナショナルブランドとプライベートブランド」(6)

チョコレート専門メーカーばかりにバレンタインチョコレートを扱わしておくてはない、とアウトサイダーがバレンタインの売場になだれ込んできた。モロゾフの開発に電通をスピンアウトした井上優がコンサルタントとして参画した。チョコレートのお祭りには御輿がいると献策した。そしてイタリアの神さま、聖バレンチノをかつぎだした。それがローマから北に100キロ行ったところにある、工業都市、テルニに鎮座ましますバレンチノ教会であった。モロゾフは神戸市にも姉妹都市の提携までも要請して神様を懸命にかつぎだした。[2009/10/11にアップした「ヨーロッパの食とギフトを学ぶ研修旅行」(5)を参照されたい。]

このように自社の製品を売りこむのに神様までかつぎだし、バレンタインの売上げが線香花火に終わらないように精魂をつぎこむメーカーに対して、量販店はどんどん安くアウトサイダーの商品を扱っていく。これはチョコレート業界にとって大きな脅威であった。これについてはさきに詳しく書いた。1989年にダイエー吹田店が開店した頃からバレンタインのプライベートブランド化が本格的に進められていった。日本チョコレートはバレンタイン商品のブランドとしてダイエーグループに「エバーリッチ」を、ニチリューグループに「R.S.コロニー」、「アローモンクール」のブランドを用意した。アドバタイジング、ネーミング、パッケージング、プライシングについてそれ相応のリサーチをして商品化を進めるようになった。コンセプト立案、デザイナー、コピーライターとも契約して良心的な商品開発を行った。

量販店のバレンタイン商品ほど玉石混淆の売場はない。プライベートブランドはまず良心的な商品づくりをしなくてはならない。お祭りさわぎのバレンタイン商品のなかには目を覆うような商品がある。バレンタイン商品のプライベートブランドは大きなリスクを背負っている。売れ残りがでれば返品される。数量契約がきわめて曖昧である。にもかかわらず良心的な商品づくりをするということは赤字になる覚悟が必要である。このような日本チョコレートの倫理観をさりげなく葛野友太郎は見ていたようである。おなじようにダイエーの「売場」も見ていたにちがいない。日本チョコレートの定番商品の露出度や特売にダイエーのバイヤーの特別な配慮があったことを葛野友太郎は見抜いていたに違いない。彼は量販店のバレンタイン商品について眉をひそめていたが寡黙をつらぬいた。

量販店のプライベートブランドについてはこれからも度々言及するつもりであるが、結論的には所期の目的の達成は難しいということである。メーカーが儲からないからである。商品づくりは面白いし、バイヤーにとってはやりがいを感ずる仕事である。しかし30%以上の粗利を確保するためにメーカーにどうしても無理を言わざるを得ない。自社のブランドを確立した一流メーカーはそんな虫のいい要求をまず請けることはない。したがってブランド力のないメーカーが請けることになる。プライシングと高品質は相容れない性質のものである。成熟した市場でのプライベートブランドは厳しい消費者の目を正面から見据えて生産していかねばならない。メーカーの良心、つまり倫理観についてバイヤーは購入する立場から挑戦をうけている。

バレンタイン商品だけに絞って商売をする企業があらわれた。1990年代は業界で呼ぶところの「バレンタイン屋」の時代であった。ティラミスが日本を席巻したころイタリアのチーズ業界はマスカルポーネの需要の大きさに慌てて工場を拡張した。ところがブームが去ると見向きもしない。マスカルポーネを日本に輸出していたメーカーは倒産した。そのとき日本の商社は協力的だったメーカーを一顧だにしなかった。日本の商社を非難する声がいまも続いている。これと同じ現象がベルギーのチョコレート業界で起きた。小さなメーカーに大きな注文を出して翌年は他のメーカーに鞍替えをする。チョコレートの品質を落とさせるのである。良心のあるメーカーは自社のチョコレートタンクの原料を変更したがらない。ならば発注先を変えるまでだ、と取引を一方的に中止する。それが原因で経営が行きづまったメーカーが一軒にとどまらない。

その被害者がベルギーででた。ベルギーを中心に商品開発をしていた株式会社ベルジャンチョコレートジャパンにとっては辛いことであった。怨み節を何回聞かされたことか。その「バレンタイン屋」を最初に紹介したのはベルジャンチョコレートジャパンであったから、言い訳に窮した。まさか同胞、ましてや私が紹介した商社がひどいことをしたといって同じように非難はできない。私は「万物は流転する、Panta rei(パンタ・レイ)」だと言って弁解した。海外向けにはこれで済むが、国内向けには許せない。「バレンタイン屋」は次々、姿を消すなかこのA社のみいまもしぶとく生き残っている。

それは量販店、卸ともに仕入れるときの良心の欠如によると思う。まず購入する商品の包装を開いて現物を見ない。もちろん試食をしない。現物を確認し、試食をすれば誰でも購入してはいけないものだと判断できるはずである。

バレンタインはチョコレート業界にとって重要なイベントである。きわめて高いリスクをともなう。セブンイレブンが江崎グリコに打診してきた。江崎グリコが日本チョコレートとベルギーで開発したベルギーチョコレートのこなれた価格のバレンタインギフト(プラリネ4個入りで500円売価)を5万個発注したい、と。2万個は確定注文であるが、3万個は数量確保してほしい。ただし追加注文がなく売れ残れば江崎グリコで処分してほしいというものである。さすがの江崎グリコもこの受注には応じなかった。このような理不尽な取引条件をセブンイレブンが始めたので私はセブンイレブンの取引を止めたことはすでに書いた。

そんななか「バレンタイン屋(A)」はいくつものラインをそろえて8月頃から受注活動を始め、発注の〆切り日を12月初旬頃まで請けるのである。スーパー、コンビニ、菓子問屋はほしいラインの商品をほしいだけ注文できる。完全包装した商品が販売棚に取りつけられるプライスカード、洒落たPOP、天井から吊り下げられる大型のポスターが商品とともに納入指定日に納入される。かゆいところに手が届いた完璧なシステム故に目を被いたくなるようなチョコレートにもかかわらず毎年20億円程度の売上げを計上している。

自由経済社会のもと利益をあげることを目的に会社運営をしているのであるからとやかく言うべきではないかも知れない。しかし敢えていうと、外観の完成度は高い、が肝心の菓子については疑問がある。チョコレート業界への評価の底上げをはかるような菓子を販売すべきである。これは供給元だけの問題ではなく購入する側にも認識を深めて然るべきではないか。業界の先達が苦労して切り開いたギフトマーケットを大切に取り扱うべきである。同時に消費者に満足と幸せを与えなければならない。「良い商品をどんどん安く」という標語は生産者と販売者の良心に裏打ちされてなければならない。

<この項おわり>

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