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ヨーロッパのマイスターを訪ねる旅行 (2)

投稿日: 2010年1月30日

ヨーロッパのマイスターを訪ねる旅行 (2)

1987年5月24日(日)

8:00  朝食

9:00  ローマ市内観光。「中世・愛の小径」トーディ(Todi)、スポレート(Spoleto)を訪問

17:00  テルニ着。ホテル・バレンチノ(Hotel Valentino)

18:00  井上優 講座①

19:30  テルニ市のマイスター、テルニ市観光局関係者との夕食会

     モロゾフが神戸に招待した中世音楽の演奏グループ、アンサンブル・ミクロログス

          (Ensemble Micrologus )の演奏

この朝、迎えに来たバスの運転手は昨年の「ヨーロッパの食とギフトを学ぶ研修旅行」の時と同じジョバンニで驚いたが、考えてみると催行旅行社が同じ近畿ツーリストであれば、ローマの指名業者がジョバンニのつとめる会社であると言うことだ。彼の運転は時間に正確であるばかりでなく、決して前後左右に揺れることはない。常にエンジンブレーキを有効に使っているのだ。バスはベンツのトイレ付きの大型バスである。今回の旅でわれわれが最初に会った運転のマイスターであろう。

今回の参加者の多くが、ローマは初めてでない人たちだった。それでローマ市内はバスから降りないで車窓から主だった名所旧跡を眺め、トーディに直接向かった。トーディもウンブリアに多い城塞都市の一つで小高い山の上に街がある。井上優は町や、街を、「マチ」と呼ぶ。「マチ」のたたずまい、「マチ」のもつアイデンティティを観察することをわれわれに教える。

「都市」はすべての「生きがい」を満たせる生活の場であり、「街」は、その中のいずれかの「生活」を分担する場です、と井上はいう。新しい街づくりを依頼されて井上優はディベロッパーとともに「街」をつくる。以下、井上優の「ライフスタイルマーチャンダイジング」から少し長いが引用する。

「街」の「設備」には、

① 祈りの空間

② エキサイトの空間

③ いこいの空間

の三つが必要だと考えています。祈りの空間とは、人間が如何に生きるかを考える空間で、パンテオン、教会、劇場、図書館、美術館、ショールームなどです。エキサイトの空間は、人間が生きていることに感動する空間で、闘技場と市場です。いこいの空間は、人間が心と体をやすらげる空間で、散歩道と公園です。[井上教室のライフスタイルマーチャンダイジング]21ページ。

YouTubeという便利な媒体がある。この中から私の視点で「マチ」の説明にいくつか引用したい。YouTubeはひとつ動画を見ると、そのテーマに関連する動画が画面の右側にいくつも示されるので自分の感性で選んで見るといい。つまり見る人の感性によって手軽に情報を集められる近代の道具であると言えるものだ。トーディの動画を見ると<中世・愛の小径>とはこのようなものかと視覚的に納得することであろう。

前置きが長くなった。モロゾフの広報誌、”Sweet Land”から引用すると、トーディは「鷲がナプキンを落とした丘。2000年余の時を閉じこめた町。ロマンの街」と紹介している。「古代ウンブリア人が、町を建設する安全な場所を探すため、鷲にナプキンをくわえさせ、ナプキンが落ちたところをその場所と決めたというもの。巣へ向かう鷲は、巣のある所にナプキンを落とすにちがいない。

そしてそこは安全だ。当時のイタリア中部は湿地が多くマラリアの多い不衛生なところであった。隣国から攻められないように防衛も兼ね備えるよう考え、ウンブリアには城塞都市が多くある。トーディも小高い丘の上の城塞都市で、古代の囲壁と中世の城石造りの壁で二重の石壁に囲まれた人口、118,000人の小さな町ながら、ローマ時代の水道橋、市場跡、中世の教会や広場があり、さまざまな歴史遺産が町中にちりばめられている。」

トーディで昼食をすませバスはスポレートへ向かった。同じく”Sweet Land” から引用する。「芸術を愛する人々の眩しいほどに豊かな心。アートの街、スポレート」と紹介されている。スポレート市はテルニから東北に26キロ。モンテルーコ山の中腹、テシーノ川を見下ろす斜面に広がる人口4万の丘陵都市。町は紀元前3世紀にローマ人によってその基礎が築かれ、紀元5世紀、ローマの滅亡とともにロンゴバルド人が侵入、ロンゴバルド族の公爵であった、ル・カート・ディ・スポレートという王の名がそのまま市名となった。12世紀、神聖ドイツ・ローマ皇帝フリードリッヒ・バルバロッサ軍に抵抗したため全市を破壊されたと言われている。いくつかの例外を除けば、美しい石造りの街並みは12世紀半ば以降のものである。

私が持っていたサンタンジェロ・イン・メルコーレ(S. Angelo in Mercole)の城塞跡も12世紀前半のものであった。スポレートには歴史的建築物が多く存在する。アルボルノツィアーナ城(Rocca Albornoziana)、城壁跡、ローマ時代の野外劇場や水道橋、サンタ・マリア・アッスンタ聖堂(Cattedrale di Santa Maria Assunta)はドゥォモともよばれる(1227年完成)。その他にも多くの教会があって歴史的遺跡が豊富に存在する。1556年、ミケランジェロをかくまったと伝えられる小さな修道院、エレモ・デレ・グラーツェ(Eremo Delle Grazie)が、いまではプライベートホテルになっていてドゥエ・モンディ音楽祭(Due Mondi 二つの世界=欧・米)のときのVIPの宿泊所になる。音響の良い歌劇場、野外劇場も素晴らしい。ドゥエ・モンディ音楽祭はトレ・モンディ(Tre Mondi三つの世界=欧・米・豪)と呼ばれる音楽祭、アートの国際フェスティバルが開催される町である。

このフェスティバルのおかげでスポレートはややもすると閉鎖的なウンブリアの他の都市とくらべると開放的な国際都市になっている。石畳の坂道を歩いているとミラノやローマに負けない洗練されたブティックに行きあたる。中に入ると足許はガラスのフローリングである。よく見るとローマ時代より前のエトルスク時代の遺跡が眺められたりする。夕暮れとともにガス灯のようなあわい灯りがともり、街並みが幻想の世界に変っていくような錯覚をおぼえる。スポレートは中世・愛の小径の町々の中でもっとも美しい表情を持った街といえそうだ。

[“Sweet Land から抜粋引用] スポレートについてはまた別の機会に詳述するつもりである。]

午後5時、計画通りにテルニのホテル・バレンチノに到着。ジョバンニの運転は名人もので計画通りに到着するのである。運転のマイスターとよぶ所以である。

<つづく>

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