投稿日: 2010年3月15日
ヨーロッパのマイスターを訪ねる旅行 (6)
オルヴィエートの城塞都市から坂を下りおりてしばらく行くと今夜の宿泊先のホテル、(ホテル/レストラン・ラ・バーディア)がある。このホテルについては先に書いた。6世紀の終わりごろ聖セヴェロとその弟子を祀ったところから伝説は始まったと言われる。長らく続いた僧院ラ・バーディアはそこに残されている聖人名簿からプレモントレ修道会の高僧からローマカトリックのお歴々にこの僧院が引き継がれていったことがわかる。12世紀には僧院のシンボルである12面体のタワー(高さ28メール)が建築された。
しかし何時のころかこの僧院は廃墟となってしまったらしい。約1世紀前からこの廃墟の再建が始まり現在のようなホテル/レストランとして蘇ったのである。庭は広く大きなオリーブ園と葡萄畑に囲まれている。前に書いたフランスのル・プレ・ド・カタランやスポレートの僧院を改装したエレモ・デッレ・グラーツェ(Eremo Delle Grazie)とは比較にならない荘重さである。
レストランは重厚な積石が周囲を取り囲み大きな炉が切られている。現代から完全に離れた別次元にいることを発見する。石造りのホールは残響時間が長い。ここでも食事のあと余興で何か歌えといわれ、イタリアの古典歌曲を何曲か歌ったが、経験したことのない感動を味わうことができた。出来ることなら合唱仲間とグレゴリアン聖歌を歌いたいと思った。
1987年5月27日(木)
7:00 朝食
7:30 オルヴィエート出発
アウトストラーダ「太陽の道」
15:00 ヴェネツィア着 ホテルダニエリ
市内観光
18:00 井上優 講座④
19:30 夕食
1965年にカルレモンタナーレの工場へ行った時、社長の運転するランチアで「太陽の道」を走ったことを思いだしていた。その日、私たちはトイレと簡単なキッチンを備えたベンツの大型観光バスでオルヴィエートからヴェネツィアまでの426キロをジョバンニの運転で走った。驚いたことにベェネツィアに着いた時、母は疲れも見せず「さぁ、市内観光に行こう」と叫んだ。ベンツの堅いサスペンションとジョバンニの運転技術にたいしたものだと敬意を表さざるを得なかった。
この前年、日本経営合理化協会かどこかの団体がベンツ工場を視察したときの報告を読んだことを思いだした。それによると日本から同行した新聞記者の質問に答えて、ベンツの工場の代表は、「われわれはトヨダの車を全く問題にしていません。なぜならベンツとトヨダは車づくりにおいて車に対する哲学が違うから」と、トヨタの脅威についての質問を一蹴した、と。この日乗ったベンツの観光バスは何のてらいもないもので、ドイツの物作りの権化みたいなものであった。内装のデザインは無骨でお世辞にもスマートと言えるものでなかった。座席のシートの堅さはどう考えても納得できない堅さであった。
この車のパフォーマンスを極限まで引き出す運転技術も評価しなければならない。ジョバンニはもとF1のレーサーであった。クラッシュで全身に火傷を負い、F1から引退した前歴をもつ。顔にその傷が残り痛々しいが、本人はいたって人なつこく、明るい。前にも書いたがブレーキを必要以上に踏まない。コーナーはアウトインで車体は左右にも前後にも揺れないのである。そして車速は計測したように安定している。オルヴィエートからヴェネツィアまでの426キロの行程であっても到着予定時間通りに運転できるのである。この物作り哲学と運転技量を日本のそれらと比べると大きな差を感じた。この差が日本の物作りの将来に厄介な問題が起きるであろうことを、心の奥に感じさせた。
われわれは、いとも簡単にマーケティングという言葉を口にするが、この言葉のもつ意味は重く、軽々しく考えてはいけない。車と同じくチョコレートも日本にとって製造する歴史も口にするのもヨーロッパとは比較にならない。ヨーロッパのスペインにチョコレートがもたらされたのは16世紀の初めであった。日本でチョコレートが最初に製造されたのは20世紀の初頭である。彼我の差は400年もある。ベンツの観光バスから降りてけろりとしていた母の姿からチョコレートのマーケティングにまで思いを巡らせたことであった。
ホテルはダニエリ。これほど有名なホテルはざらにない。旅に出る前からいろいろ調べた。今と違ってグーグルはない。いろいろな資料をかき集めた。ジョルジュサンドやワーグナーが泊まったホテルであることが分かった。このホテルに泊まるとこれらの有名人の宿帳が見られると書いてあった。チェックインしてすぐワーグナーが泊まった時の宿帳(Guest book)を見せてほしいとレセプションで言ったら怪訝な顔をされ、残念ながらそのような話が流布されているようですが、そのような話は実情とかけ離れていますとやんわりと断られてがっかりした。
しかし面白いことがあった。母がトイレのドアを開けるとき、少しがたついたので強くひっぱったら、取っ手がとれたと言ってしょげ返っていた。取っ手は時代物であった。よく見ると糊の跡がある。トイレのドアのノブにしては立派すぎる装飾が施されている上にばかでかい。14世紀に建築されたものであれば代替品はおいそれとない。営繕係は糊で間に合わせに修理したのであろう。独りでに笑いがこみあげてきた。
このホテルの真価は眺望にある。サンマルコ広場に近いという立地もさることながら、ルーフテラスにあるレストランからの眺望の素晴らしかったこと。夜中に雷が鳴り、豪雨が降った。一夜明けた朝の天気は太陽が燦々と輝き眼下に堂々と流れる大運河にサンジョルジョマッジョーレ教会が真っ正面に見える。ここでとった朝食の何とさわやかであったことか!
<つづく>
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