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英国のスイーティー、ベルギー視察(1)

投稿日: 2010年7月16日

英国のスイーティー、ベルギー視察(1)

ソニークリエイティブプロダクツのもつ版権と日本チョコレートの製品をいかにセットにして販売するかに苦心した。カゲもカタチもないものを販売することは夢を売ることと同じであった。要するにコンセプトを販売することで、これは電通や凸版印刷のお家芸で、彼らが江崎グリコに対して手をかえ、品をかえプレゼンをしている。日本チョコレートにはコンセプトを売るノウハウは何もなかった。

何かアイディアを得たいときは歩くに限る。私は夏の暑い日差しの中を憑かれたように歩いた。平河町のソニークリエイティブプロダクツから六本木に出て、麻布十番に出た。そこから芝公園のダイエーHOC(浜松町オフィスセンター)を目指した。ふと見ると江崎グリコの看板があった。江崎グリコは塚本にある本社しか知らなかった。芝三丁目にある江崎グリコの看板は東京支社でもなかった。

事務所は2階にあった。階段を上ると事務所だ。一人の男が近づいた。西村雅彦だった(現、ユニカ食品株式会社の社長)。前年ベルギーチョコレートについて江崎グリコで講演をした後、熱心に、否、しつこく質問をあびせた男だった。彼は人なつっこく近づき、ここをどうして知ったのかと尋ねた。いや歩いていたら看板が見えたので上がってきたまでだと答えた。彼は、いい人を紹介するからと事務所の中へ引っ張り込んだ。自分の上司、中野義巳を紹介した。名刺には首都圏量販営業企画室室長とあった。西村雅彦は係長であった。

お互いに何をしているのかと漠然と質問を投げ交わした。私はいま江崎社長にコンピューター通信を全社的な情報交換に使ってはどうかというようなプレゼンをしている。江崎社長からはキャドバリー商品の販売について何か秘策はないかと尋ねられているとか、曖昧に答えた。この開発室は本社の菓子開発部が取り扱えないような売場の状況にあわせた商品企画を短期間に考えるのだと言って、ビスコの小分け袋を私に見せた。「思いがけずこれがよく売れているのだよ」と、中野は嬉しそうに話す。ころやよしとばかりに、自分の夢を語った。ノイハウスは量産できる製品以外はすべて下請けにだしているので、近くベルギーへ行ってノイハウスの下請けメーカーに日本で販売できるような商品を依頼する計画である、と思っていることを話した。そして自分はソニークリエイティブプロダクツと仲がいいので江崎グリコに紹介したいと、正直に話した。あそこには良いライセンスがあるので一度担当者と会ってみてはどうか、と熱っぽく誘ってみた。

この提案は彼らにとっても核心をついた話題であったようだ。中野室長と西村係長は大いにその気になって具体的なプレゼンをしてみろということになった。このときの出会いが、その後のベルジャンチョコレートジャパン(Belgian Chocolate Japan, Ltd. =BCJ)とベルジャンチョコレーツヨーロッパ (Belgian chocolates Europe, nv .=BCE)との取引の始まりであった。

独立してますます明確になってきたことは、日本チョコレート工業協同組合の組合員は、ファースト製菓を除いて積極的に日本チョコレートを応援してくれそうなメーカーがなくなったということだった。当時、社長の巴勝利の長男、巴俊信が大学を卒業して入社したばかりであった。本来は東京青年部会に入部しなければならないにもかかわらず、日本チョコレート工業協同組合の関西青年部会に入ってきた。日本チョコレートに忠実屋イトーヨーカ堂彦根の平和堂などの口座を譲ってくれた関東では唯一のメーカーであった。私は、巴俊信にこれからはパソコンの時代になることを熱心に話した。(彼は現在、ファーストセレブレーションの社長であるが、パソコンを武器に祖父が創業した家業をみごとに再生した希有の人である。)

ノイハウスにかわるべきメーカーを探さなければならないと、強迫観念にも似た強い思いを当時の私はもっていた。世界ナンバーワン、オンリーワンの商品を持たなければスーパーマーケットのバイヤーにどんどん「中抜き」をされて日本チョコレートのような小さな商社は立ちゆかなくなることを恐れていた。ノイハウスにかわるべきメーカーを探そうと思い足繁くベルギー大使館に通った。ベルギー大使館の商務官、小堀公二がボヴィ美弥子(ベルギー人の学者と結婚してブラッセルに住んでいる主婦)と、伊丹市がベルギーのハッセルト市と姉妹・友好都市提携をしていて、伊丹市の小西酒造がベルギービールを一手に輸入していることを、紹介してくれた。彼女と連絡をとった。小西酒造の社長、小西新太郎は青年会議所のメンバーであった。こちらから会いに行った。彼はハッセルトの食品業界のコンサルタントを紹介してくれた。トレイサー (TRACER international marketing service bvba) の社長、Tharsi Vanhuysse がその人である。

1989年4月8日、私は一から新しい仕入れ先を開拓しようと心に誓って英国とベルギーへ旅だった。女房を帯同した。まず、ダイエーのロンドン事務所の須田正人に連絡をした。彼はわれわれ夫婦をヒースロー空港まで迎えに来てくれた。ロンドンで行われる小さな菓子見本市、スイーティー(Sweetie)を見学した。須田正人と一緒に見て廻った。しかし、日本人の顔はほとんど見かけなかった。私が何故ヨーロッパまで来たかを須田バイヤーに縷々説明した。ベルギーで本格的なプラリネ(一粒チョコ)を開発するつもりであることを伝えた。ロンドンの市内をくまなく見てまわった。英王室御用達のフォトナムメイスンの店を詳細に見た。ここはすでに高島屋をとおして10年以上日本に輸入されていた食品ブティックである。

次に詳細に観察したのはエクセレントカンパニーの誉れの高い「マークアンドスペンサー」 (Marks & Spencer)であった。取扱商品の品種・品目は絞り込まれていた。単品ごとに精査したがアメリカのスーパーマーケットや通販で有名なシアーズ (Sears) のプライベートブランドより遙かにすぐれたものが多かった。マークアンドスペンサーやシアーズのバイヤーは自分の開発した商品について本の1冊、2冊は書けるといわれている。しかし売場を見るかぎりアメリカのシアーズは量的な見地から、イギリスのマークアンドスペンサーは品質面から開発していることがわかった。前者は機械による大量生産方式の商品。後者はマニファクチャラー段階の工場で生産された商品である。原料、生産方法、保管、配送まで伝統に則った正しい中量生産方式の商品である。価格は安くない。アメリカではニーマンマーカスの「エピュキリアン」ブランドの商品群に近いものであった。

毎日、昼前(11時半ころ)に、ホテルの隣にあった小型店のマークアンドスペンサーには路上まではみ出る長蛇の列ができる、と須田バイヤーがいう。デイリーのサンドイッチを求める人たちである。試しに商品を買ってみた。ロンドンのどこよりも美味しい味だと女房が太鼓判をおした。翌日もそれを食いたいというので買いに行ったところ12時半で売り切れたとのことで店内は閑散としていた。このことを須田バイヤーに話すと野菜や果物の売場でも夕方には品切れが多いという。デイリーで最も配慮すべき品質管理の要点は鮮度である。品切れをおこすことを前提にしたような仕入量に鮮度を保つ要点があると思った。日本のスーパーを指導するコンサルタントが「機会損失」を防ぐために品切れは悪徳のようにいっているのは間違いではないか。鮮度がいのちのデイリー(生鮮加工食品)と雑貨は違う。

<つづく>

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