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英国のスイーティー、ベルギー視察 (4)

投稿日: 2010年10月6日

英国のスイーティー、ベルギー視察 (4)

1989年4月14日、午前中は再びロンドンのさまざまな業態の小売業を見てまわった。午後、列車でバースへ移動した。1987年にバースの市街地は世界遺産に登録されていたらしいが当時世界遺産は今日のように仰々しく喧伝されていなかった。私がバース(Bath)へ行った理由は、同級生にバースに古いパン屋があると教えられたからであった。その友の頼みでロンドンに行くのであればバースまで足をのばそようと考えていた。バースに物見遊山に行くのは気が引けたが英国の有名なパン屋に行くというのであれば立派な理由がたつ。

昼にロンドンで食べたフィッシュ アンド チップス(fish-and-chips)が胃にもたれて気分が悪い。イギリスを代表する料理と言われると食べないわけにはいかない。けっこう雰囲気のあるブラッスリーを見つけて食べたのであるが油が悪かったのであろう。日本のような油で揚げた天ぷらは、アングロサクソンの人たちには頼りないといわれる。それ故油にショートニングを混ぜることが多い。多分このフライにもショートニングを使っていたにちがいない。いつまで経っても胃がすっきりしない。
1989年4月15日。友人から見てきてほしいと言われたサリーランのパン屋(Sally Lunns)を見に行った。200年前フランスからやってきた職人がパンを焼きだしたという店であるが何の変哲も衒いもなかった。毎日食べるものであれば「くせ」がなくてあたりまえである。パンを焼いているだけではなく、90席あるレストランもある。観光地であるバースだから店のまえはパンを買い求める人の行列ができていた。

海外に出て日本食は食べたくない。これは私の流儀である。日本食はアミノ酸やイノシン酸で味付けがなされている。洋食は塩と胡椒だ。一度アミノ酸の味に触れると洋食が食べられなくなる。しかし、胃をこわすと洋食は困る。胃をこわしたというと外国では、それならハムとチーズにしておけという。私の胃袋はそのようなものを受けつけない。バースの On the Town を見てみた。あった、Chikako’s という日本料理屋があった。このようなところに来ても日本料理屋があるということが感激であった。電話でおなかがおかしいのでよろしく頼むというと、分りましたと。行ってみるとこぎれいな料理屋であった。野菜の炊合わせ、ほうれん草のおひたし、お麩の味噌汁、じゃこの佃煮、海苔、漬け物、白ご飯。大いに日本人である私の胃袋は喜んだ。おかみさんは何処、と聞くと高槻だという。私たちは茨木だ。世界は狭い。

ホテルでリムジンを用意してもらってストーンヘンジ(Stonehenge and Associated Monuments, ID 373-001)とソールズベリー大聖堂(1258年)へ行く。ストーンヘンジは1986年に世界遺産に登録されたのであるが、当時は世界遺産という名前さえ知らなかった。そこで買った ”Stonehenge and Neighbouring Monuments” というリーフレットにもEnglish Heritage と書かれてある。どこにも World Heritage とは書かれていない。ソールズベリー大聖堂では大聖堂修復のための寄付金を募っていた。クリスチャンでもない私が何故か喜んで幾ばくかの金をだした。清涼寺の復興に女房の父が毎月お釈迦様の日に訪れては寄付していることを思いだしたのかもしれない。

4時ごろホテルに帰館してこれからの仕事の段取りを考え、今後世話になるひとたちにファックスを書き送った。ベルギーのボヴィ美弥子(Bovy Miyako)、トレーサーのヴァンフッセ(Tharsi Vanhuysse of Tracer)、イタリアのジャピタリーエクスプレスのアウグストトルリーニ(Augusto Torlini of Japitaly Express)、ミラノのマッシモモリナーリ(Massimo Molinari)にこれからの10日間のスケジュール調整や訪問先についてあれこれ依頼した。

ロイヤルクレッシェントホテル(The Royal Crescent Hotel)についてひとこと。ヨーロッパでも指折りの壮大な半月形のビルディングである。この建物自体がグレード1の史蹟である。それぞれファッサードをもった30棟が連なっており、その長さは500フィート(約150メートル)である。クレッセントホテルはそのビルの中央部の2棟である。テイストと大きさの違う部屋が45室ある。廊下には乾燥した薔薇の花がいっぱい入った大きなガラスボールがあちこちに置かれていた。このポプリ (potpourri)は英国の階級社会を象徴するような香りと目を楽しませるものである。部屋のベッドはヴィクトリア調のレースの布で飾られた天蓋つきのものであった。別棟のダウアーハウスはグルメレストランとしてその名を知られている。この建物には本館よりさらに華麗なスイートの間が10部屋用意されている。手入れの行きとどいた花壇がある。ウイーンのシェーンブルンにも個人の住める部屋を買うことができるようにこのロイヤルクレッシェントも一棟一棟単位で専門のブローカーから斡旋してもらえる。畏友、横井伸がそこに一棟を所有していることをその時私は知らなかった。

ダウワーハウスのレストランで夕食をとった。宿泊客以外に多くの客でレストランは賑わっていた。 モンクフィッシュ(monk fish カスザメ)を食べたが美味しいとは言えない魚であった。レストランの照明は暗く洞窟の中で食事をとっているようであった。フランスにいた弟が、価格の高いレストランは分厚いコットンの大型のナフキンがあり、室内は暗くローソクの明かりでメシを食うのだと言っていたことを思いだした。

<つづく>
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