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英国のスイーティー、ベルギー視察 (5)

投稿日: 2010年12月1日

1989年4月16日(日)。早朝にバースを出立。午前中ふたたびコヴェントガーデンの市場付近でチョコレートの見本を精力的に収集した。「クラブトリー&イーヴリン」(Crabtree & Evelyn)を再訪した。プラリネチョコと称されるものはベルギー製が多い。明日からいよいよベルギーに行く。英国のチョコレートメーカーや大規模小売業のOEM供給をしているベルギーのメーカー名をできるだけ集め記録した。ベルギーと英国は近い。英国と取引しているメーカーは多分日本とは取引していないのではないかと推論したからである。

バースへ行くにあたり大きなスーツケースはリッツへ預けていった。午後3時にリッツへ戻り荷物をもってタクシーでヒースロー空港へ向かった。空港でもチョコレートの売り場をあちこち見て回った。そこにはゴディバ(Godiva)とノイハウス(Neuhaus)が隣りあわせで妍を競っていた。今でこそホテルショコラHotel Chocolat)が幅をきかせているが販売されているものの多くはベルギー製のOEM商品である。社長のアンガス・サールウエル(Angus Thirlwell)は希代の才人である。もはやゴディバやノイハウスの時代ではなくなりつつある。現代人が自分の味を持っていないのでこのような口八丁のビジネスマンにやられるのである。ホテルショコラについては将来論ずることにする。しかし1989年のときはまだホテルショコラの時代は来ていない。ゴディバもノイハウスも大量生産型ショコラティエの時代であった。店頭では手作りの職人が作ったと宣伝しているが実際は機械で生産している。ごく僅かな品種だけはショコラティエに下請けさせていた。

1989年4月16日のベルギー訪問は全く先の見えない訪問であった。日本を出る前に何も成算があったわけではない。ベルギーには500軒とも600軒ともいわれるチョコレート業者が存在しているのであるから何とかなるという無謀な訪問であった。モロゾフの取引銀行である三菱信託銀行、青年会議所の友人、小西新太郎(白雪で知られる小西酒造の代表取締役)、ヤマト運輸、ベルギー大使館、小堀商務官の紹介でボヴィ美弥子を頼って乗りこんだのであった。

ロンドンを16時に立ってベルギーのザヴェンテム空港Zaventem Airport)に着いたのは20時であった。そこにはボヴィ美弥子が迎えに来てくれていた。21時30分、ブラッセルの高級ホテル、ロイヤルウインザーホテル(The Royal Windsor Hotel)にチェックインした。

22時に欧州ヤマト運輸の取締役である前田健次とセールスマネジャーの鈴木省司がわざわざホテルまできた。まだ何も決まっていないのにはや輸送の商談とは早すぎる。われわれは輸送については日本通運でやろうと決めていた。ノイハウスの製品を運ぶときに日本通運に依頼していたからである。日本のチョコレート消費量は年間、20万トン余である。アメリカへは1200~1300トンと桁が違う。プラリネを扱うとなると空輸が多くなるのでヤマト運輸も必死で新規開拓に乗り出してきた感であった。しかし国内の輸送についてはダイエーを含めあらゆる点で正確なヤマト運輸に任せていた。ヨーロッパに私が出かけるとあって日本通運より早く挨拶に来たのであった。国内の輸送と同様、ヨーロッパから日本向けの貨物を一手に引き受けさせてほしいと懸命に頼みこむ姿に私は感銘した。

先にも書いたがボヴィ美弥子はベルギー大使館の小堀商務官の紹介であった。私がノイハウスの井戸掘り屋(立ち上げ屋)にされていたことが分かったとき、当時、日本ベルギー協会の会長であった本田宗一郎が親身になって相談に乗ってくれた。ベルギー大使館へ乗りこんでいって大使に会わせろと息巻いた。商務官、小堀公二がまぁ、まぁといってとりなした。彼が紹介してくれたのがボヴィ美弥子であった。彼女は私が来る前から真面目に私の行きたいようなところを小西酒造の小西社長の紹介してくれたトレーサー(TRACER)のヴァンフッセ社長と事前に会ってベルギー滞在中のスケジュールを作成していた。

彼女が渡したスケジュール表には(1)キムズチョコレート(Kim’s Chocolates)。ベルギーでカレボーに次いで2番目にISO 2001 を取得したチョコレート屋。 (2)グッドラン(Gudrun)(3)ノイハウスのプラリネの下請け先。(4)マリーノ(Boerinneke Marino)(5)ヴァンフッセ社長のクライアントのオヴィディアス(Ovidias)(6)ダスカリデス(Daskalides)。ベルギーでカカオの一次加工をしているチョコレート業者は皆無であることは前にも書いたが、昔、ギリシャから移民してきたレオニダス(Leonidas)とダスカリデスは一次加工から製造している数少ないメーカーである。(7)これからチョコレート工場を立ちあげるというヴァンダイク兄弟(Van Dyck)(8)ブルージュにあるスペルマリー料理学校(Hotelschool Spermalie)(9)アントワープにあるガ-トナー(Gartner)と盛りだくさんであった。

1989年4月16日、ルーヴァン(Leuven)にあるトライリィング(Trilingue)というレストランでヴァンフッセ社長(Tharsi Vanhuysse)と会った。エラスムスが一時住んでいたと言われるレストランはなかなかの風情があった。その上 Belgian Gourmet という副題をつけたレストランの味は格別なものであった。フランスのレストランでは本来のフランス料理は食えない、伝統的なフランス料理は今やベルギーに行かなければ味わえないと言われて久しい。

<つづく>

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