2010年02月17日
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『食の大正・昭和史—志津さんのくらし80年—』 第六十四回 月守 晋
●高等女学校の『割烹指導書』後編(2) 前回は第1学期第1課で習う「西洋料理」の朝食を紹介した。 まずはライスカレー。 <材料> <作り方> 取り合わせの「サラド」は「ストロベリー、キュウリ、ばれいしょ、レタス」のサラダで「オリーブ油中さじ4、西洋酢中さじ2、塩少々」を鉢でよく混ぜ合わせた「フレンチドレッシング」で食する。 デザートの「ストロベリーゼリー」にはゼラチン40g(約10枚)を使う。また「ストロベリー水」は布巾(ふきん)でイチゴをしぼってジュースにするもの。冷水で薄めて砂糖を加える。 ちなみにわが国最初の民間の日本語新聞「海外新聞」を慶応元年に創刊した岸田吟香は明治9年にレモン水を発売して評判になった。明治政府の勧業寮はアメリカからイチゴの種苗を同8年に輸入しているのだが、39年に初物のイチゴ1粒が5銭もした。東京で盛りそば1杯2銭というころの話である。 西洋料理を「晩餐(ばんさん)」として実習するのは第2学期の最初の時間第8課においてである。 第8課で実習するのは「コンソメ、ビーフステーキ、パイナップルババロアン、スポンジケーキ」という献立である。 <コンソメの材料> <作り方> 牛肉とひたした水をとろ火にかけ、煮立ってきてあくが浮いてきたら手早く取り、野菜を入れて半量になるまで煮詰め、塩・胡椒で味をつける。鍋を火から下ろし、牛肉と野菜をこし取る。こし取った人参をあられに切りグリーンピースと共に皿に盛りスープを注ぐ。 ホテルなどで現在出されるコンソメスープは何日もかけて煮込んで野菜と肉のうま味を引き出すようだが、この実習のスープが2時間という制限時間内の仕上げになるのはやむをえない。 北海道で開拓使がキャベツや玉ネギを初めて栽培したのは明治4年のことだが、キャベツは明治30年代の終わりころにはふつうの野菜として八百屋で売られていたという。生で食べても火を通してもおいしく食べられるので重宝されたのだろう。 ちなみにキャベツの千切りがつきもののカツレツは東京銀座の煉瓦亭(れんがてい)が明治32年に発案したものという。40年代末には家庭料理として定着していた。 |
食の大正、昭和史