2009年06月17日
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『食の大正・昭和史—志津さんのくらし80年—』 第三十回 月守 晋
●手間をかけていた家庭料理 お客を迎えてのちょっとあらたまった季節ごとの献立にしても、家族に食べさせる日々のお惣菜にしても、下ごしらえから始めて食卓に上せるまで手間を惜しまず時間をかけて1品1品をととのえなくてはならない。 1例をあげると「2月のお惣菜」で取り上げられている「鎗烏賊(やりいか)けんちん蒸し」では、 ①水洗いしたヤリイカの足を抜き、残った袋の部分に両面から針で数十か所穴をあける この料理書には材料についても、調味料についてもいっさい分量が示されていない。材料の分量は家族の人数に合わせて適宜に準備しろ、ということだろうし、調味料の量も家族の舌に合わせて加減してくださいということなのだろう。 しかし、イカを自分でさばいて下味をつけ豆腐と野菜の具を詰めて蒸すという手間を、いまどきのたいていの主婦はたぶんかけないだろう。似たようなものがスーパーの総菜コーナーなどで容易に手に入る。 さらに時代の変化を感じさせるのは、この料理書にはひんぱんに蒸籠、すり鉢、裏ごしが使われるということである。ゴマひとつとっても、この頃は主婦がすり鉢を使って用意していたものが、現在はいりゴマからペーストまで既成品のびん詰で容易に手に入る。 1947(昭和22)年に狩猟法が改正されてカスミ網の使用が禁止されると、江戸期以来つづいていた野生の小鳥を食う習慣が徐々に消えていった。 しかし志津さんが少女だった大正時代にはまだ野生の小鳥、スズメやウズラなどがふつうに家庭でも料理されて食べられていた。 『趣味と実用の日本料理』にも小鳥料理が取り入れられていて、「12月の献立」の中に「小鳥大根」が紹介されている。12月は秋の穀物の実りの時期にたっぷりと食べて肥え太った小鳥が、容易に入手できたからだろう。 肉屋で入手したその小鳥を、大正の主婦は自分でさばいて料理し、食膳に上ぼせた。「小鳥を普通にこしらえ、すねなどは骨つきのまま、胸は二つ割にしておき・・・・・・・」と説明してある。 「小鳥のこしらへ方」と小見出しを立てた解説文では、 「まづ足の先を、肉にかからぬように庖丁し、そっと疵(きず)を入れてまるく切り(両方とも)、胸にも一本庖丁を入れ、羽がいは二番目のふしから切り捨てます。足の先から倒(さか)さに皮をむき(小鳥は羽をむしるのではなく、皮をむいてしまうのです。綺麗(きれい)にむけます)云々・・・・」(原文のまま) と処理法を丁寧に説明してある。しかし平成20年の主婦にはとても無理かもしれない。 |
食の大正、昭和史