2010年04月07日
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『食の大正・昭和史—志津さんのくらし80年—』 第七十一回 月守 晋
●婦人雑誌のすすめる家庭料理(2) 「婦人世界」昭和6年3月号には「新恋愛小説」と銘打った吉屋信子の「鳩笛を吹く女」が掲載されている。 登場するのはもう勤めに出ている娘絢子とその母親咲子、そしてこの家の2階に間借りしている大学生浩介。折しも風邪を引いてしまったらしく寝込んでいた咲子を、朝から具合の悪そうなのを心配していた浩介が大学から早目に帰ってきて介抱に励む。医者を呼びに行き、朝から何も食べていない咲子のために重湯を作るのだが、まずガス七輪(しちりん)に火をつけて炭をおこし、おこった炭を長火鉢に移し、その火の上に一握りの米を洗い入れた小鍋をかける、のである。 やがて医者が往診にやってきて、しかるべく手当てをして帰ってゆく。小鍋の重湯はちょうどそのころ煮あがって病人の枕元に運ばれるのである。 家庭の炊事にガスが使われるようになったのは関東大震災後、といわれているが「婦人世界」の読者のうちのどれほどの家庭でガスが使われていただろうか。 1943年、太平洋戦争さなかの昭和18年に沼畑金四郎著『家庭燃料の科学』という燃料をテーマにした書籍が出版された。その内容は「一、ガス使用の知識 二、木炭使用の知識 三、薪使用の知識 四、練炭と炭団(たどん)使用の知識 五、その他の燃料使用の知識・・・・・・」となっていて雑誌の特集などでも燃料に関する記事が多く見られるという(『日本食物史』江原絢子他/吉川弘文館)。 ちなみに「練炭」は石炭、木炭、コークスなどの粉を粘着剤を加えて練り固めたものであり、「炭団」は炭の粉をふのりなどで丸く団子状に固めたものである。 昭和6年当時の都市生活を営む一般家庭でガスを使って炊事をするという家庭は半数にも満たなかったろう。多くの家庭では七輪やかまどを使い木炭や薪を燃やして、時間と手間をかけて料理を作っていた。一椀の重湯を作るにもまず火をおこすところから始めなくてはならなかったのである。 さて昭和6年3月号の「婦人世界」には「誰(だれ)にもすぐできるフランス式な おいしい春の家庭晩餐料理」が紹介されている。調理にはガスを使わなくてはならない。 メニューは以下の通りである。 ポタアジュ・ア・ラ・ピュレ・ド・ポア 「フランス式な」料理に“あこがれ”はあってもいざ実際に作るとなるとそう簡単にはいかなかったろう。食材を買いそろえるだけでも一苦労したに違いない。 それに比べれば「かわり御飯のたき方十二種」のほうはまだしも手を出しやすかったろう。 一、蒲公英(たんぽぽ)の御飯 このころの主婦が季節の野草を上手に食用として取り入れていたことがよくわかる記事である。 |
食の大正、昭和史