2010年08月11日
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44「チョコミント派の子は『チョコミント』一筋に青春を捧げている場合が多い」 子どものころに食べたおやつの記憶をいつまでも鮮明に記憶している世代がありますね。 昭和6(1931)年の「満州事変」の年から太平洋戦争に敗戦した昭和20(1940)年までの15年間に子どもの時代を過ごした人たちです。 わたくしもちょうどこの期間に小学生時代をすごしました。いちばん記憶に残っているのはその頃、月に1回子どもがお菓子を売ってもらえる日があり、いつも閉じたままになっているお菓子屋さんの店がその日だけは開いていて、切符とお金をもって行くとお菓子の入った紙袋と引き替えてくれたことです。 中味はなんだか変に粉っぽくてたいして甘味のない小型のおせんべいのようなものと黄な粉を固めたようなものが入っていたと記憶しているのですが定かではありません。 ともかく甘くないお菓子だったという記憶が残っているだけです。 オカシ屋ケン太/泉麻人さんの『おやつストーリー』は1982年の夏から1991年夏までの9年間に、街のお菓子屋さん、コンビニ;駄菓子屋で買って食べることのできたお菓子のうちの320種ほどが時代の風潮やら背景、風景とともに紹介されているのです。 冒頭の文章はその第1ページの「チョコミント症候群」からの引用です。 このおやつストーリーにはチョコレートが主材料・わき役の多種類のお菓子が紹介されています。 たとえば“オカマ”と女子大生に人気があったという「マリブのさざ波」というネーミングのチョコレート(ロッテ)。 ビスケットの裏にチョコレートをコーティングした「キティランド(江崎グリコ)」はOLの間で“ウケがよ”く、3時のオヤツタイムにビスケットに描かれているどの動物がカワイイかを楽しんでいて「蝶ネクタイと耳あてをしたイヌ」が一番人気だとか。 両方とも1982年夏から冬にかけて人気のあった“チョコレート使用”の菓子です。 この他にも石屋製菓の「白い恋人」、ロッテの「ゴーフレットチョコレート」、不二屋の「シガレットチョコレート」、森永製菓の「フィンガーチョコレート」などなど。 さて冒頭の引用文のチョコミントはごぞんじの「サーティーワン」のもの。 「世界最大のアイスクリーム会社」といわれているサーティーワンですがその創業者の息子が家業の継承を放棄して、健康な食生活を追求・研究した結果を一冊の本にまとめています。 『100歳まで元気に生きる!』というタイトルです。 食べ物と“質”との関係を考えるときに役立つのではないかと思います。 |
チョコレート人間劇場