2009年01月08日
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8. 「彼から、あたしがあげたのとおんなしチョコレートケーキ、貰っちゃったんだよね。・・・・」 杉浦日向子(ひなこ)が亡くなったのは平成17(2000)年7月22日。まだ若くて、46歳でした。 杉浦日向子は漫画家として出発しました。デビュー作は「通言室乃梅」という作品で、1984年(26歳)「合葬」で日本漫画家協会賞優秀賞、88年(30歳)「風流江戸雀」で文芸春秋漫画賞を受賞しています。 東京JR両国駅前に国技館に隣接して東京都の「江戸東京博物館」がありますが、開館(93(平成5)年3月28日)を記念して雑誌「東京人」が93年の5月号で特集を組んでいます。この特集の中で「こんなにおもしろい江戸東京博物館」という館の紹介記事に歴史家小木新造と共に案内役として杉浦日向子が登場しています。『江戸へようこそ』『大江戸観光』など江戸をテーマにした著作を発表した後で、江戸風俗の研究家としても知られていましたが、根元のところは漫画家だと多くの人が理解していたでしょう。しかし彼女の略歴には、“現在漫画は休筆中”とありますから、仕事のウェイトが文筆のほうに移っていたのかもしれません。 杉浦日向子の名が広く知られるようになったのは、伊藤四郎が座長をつとめたNHKのTV番組「コメディーお江戸でござる」の江戸案内人として登場してからでしょう。 粋な和服に身を包み、ちょっと照れくさそうに微笑みを浮かべながら江戸の住人のくらし、風俗のあれこれを説明する、くるっとした瞳のしもぶくれの顔が思い出されます。 彼女の多才ぶりはエッセイばかりではなく小説でも発揮されています。 冒頭の一節は杉浦日向子33の短編小説を集めた『4時のオヤツ』の中の「デメルのザッハトルテ」からの引用。 3月半ばのある日の午前2時。TVの深夜番組をつけっぱなしにして、ベッドで足の爪を切っている姉のところにOLの妹から電話がかかってきます。クルマがつかまらないから駅まで迎えにきてくれないか、と。場所は東京郊外、中央線沿線の住宅街。連れて帰った妹が「お土産あるのよ」と差し出したのが“デメルのザッハトルテ”。「お父さんとお母さんと、3人で食べてよ」と。 なぜこうなったのか、理由を探る姉に妹が答えます。その部分を引用してみましょう。妹はバレンタインに、本命にチョコをあげていました。 「でさ、今日、ホワイトデーじゃない。お返しに、彼から、あたしがあげたのとおんなしチョコレート 「思いっきしフラレちゃった」と落ち込む妹を、姉ははげまします。 「飲も。食べよ。食ってかかるのよ。がーっと食べて太って、グラマーになんなさいな。あんた、やせすぎよ。昔、コロコロしてた頃、もっとずっと積極的で可愛かったよ」 杉浦日向子の死因は下喉頭がん。お酒の好きな人だったといいます。 《参考》 『4時のオヤツ』 新潮文庫 |
チョコレート人間劇場