月守 晋

チョコレート人間劇場

川上弘美

2010年03月25日

35「湿ったチョコウエハースを、しかたなくわたしは一人で食べた」
「星の光は昔の光」/『神様』/川上弘美/中公文庫

川上弘美『神様』はとても不思議な9編の小編が集められた短編集です。

たとえばこの短編集の冒頭に置かれている「神様」は、
「くまにさそわれて散歩に出る。」
というフレーズで始まります。

「えっ、くま!?」

そうなんです。このくまは雄の成熟したくまで、三つ隣の305号室につい最近越してきて、引っ越しに際しては同じ階の住人には引越し蕎麦をふるまい、はがきを10枚ずつ渡してまわるという実に気遣いのいいくまなのです。

「わたし」はこのくまと散歩のようなハイキングのようなことをしたりして“ふつうに”つきあっていくのですが、その不思議な状況が読み手にはすんなりと受け取られます。

「あとがき」によると『神様』はパソコン通信の第1回パスカル短編文学新人賞を受賞した小説だということで、それは94年のことでした。その2年後には『蛇を踏む』で第115回芥川賞を受賞しています。

2001年に発表した谷崎潤一郎賞受賞の『センセイの鞄』の文庫本の解説(文春文庫/木田元)には川上自身の言として「…私の小説の中では、時間が真っすぐに流れない」という言葉が引用されていますが、『神様』を読んでいると3次元のこの世の世界に4次元か5次元か、異次元の世界がぐにゃりと入り込んできているような感覚に捕われます。

冒頭に揚げたのは、「星の光は昔の光」の中の一節で、チョコウエハースは「わたし」の隣の隣の304号室で大部分の日を母親と2人でくらしている「えび男くん」が来たときのために用意したものなのです。

チャイムをとても柔らかい音で、必ず2回鳴らす「えび男くん」が「わたし」の部屋を訪れなくなって何か月か月日が過ぎ、「わたし」も「えび男くん」のためにチョコウエハースを買うことをやめてしまった1月の半ば、夕方の散歩の坂道で「わたし」は久しぶりに「えび男くん」に再会します。

「えび男くん」に誘われるまま焚き火の匂いのする方へ行ってみると、それは「どんど焼き」の火煙でした。

花のように小さな丸い餅を飾りつけた木の枝が何度か回ってきますが、2人にはその餅が回りません。それを見ていたおじさんがみかんを2個ずつ2人にくれます。

みかんをポケットに歩きながら「えび男くん」は「星は、寒いをかたちにしたものじゃない」「星の光は昔の光でしょう。昔の光はあったかいよ」と言うのです。

「えび男くん」の「えび」が好きなのは、めったに帰ってこないお父さんのほうなのです。

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