セントルイスのランドマークは、ミシシッピー河の河岸に立つ「ゲートウェイ・アーチ」だ。高さ192mもあるステンレスのモニュメントで、イーロ・サーリネンの設計である。
イーロ・サーリネンはフィンランド人2世の建築家で、父親(エリエル・サーリネン)も著名な建築家だった。
イーロは1948年の設計コンテストに勝って、この巨大なアーチを立てた。アーチの意味するところは、希望の土地「西部」への入り口である。セントルイスはミシシッピー河とミズリー河が合流する地点に、毛皮商人が開いた町である。それが開拓の拠点となった。
イーロ・サーリネンは自身もフィンランドで生まれた。父エリエルがシカゴ・トリビューン社の社屋設計コンテストに2位当選し、渡米したのに連れられてアメリカに移住した。イーロが12歳のときである。移民のイーロ・サーリネンが立てたゲートウェイ・アーチは、西部への入り口であると同時に、移民たちの“希望の国アメリカ”への入り口でもあった。
アーチの頂点までは、カプセル式の乗り物で料金は1ドル50だ。
さて・・・・・。
アロー・ナジャーはこのセントルイスで私立探偵家業を営んでいる。ちょっとしたことにも、制酸剤の丸い白亜色の錠剤を要求する神経質な胃と、支払いの遅れている扶助料を執拗に取り立てようとする、万能家庭用品の販売ネットワークから不相応の手数料を取って実入りのいい元妻をもっている。元警察官の、43歳の男だ。
強い雨がオフィスの窓を打つ日、ナジャーは久しぶりの依頼人と、机をへだてて対していた。百貨店のマネキンのように、均斉のとれた肉体と、小さくツンとした鼻をもつ金髪のその女性に、ナジャーは見覚えがあった。
「先週の新聞にあなたの写真が載っていましたね。その下の記事では、あなたは死んだとなっていた」
「あれは私じゃないわ、殺されたのは双子の妹のジェニーンなの」
ジェニーン・ボイトンはビール通りのアパートメントで、喉を切られて死んでいたのだ。ナジャーの胃が制酸剤を必要とするのは、こんな話を聞くときである。
依頼人候補を追い返せ、という神経質な胃の警告をなだめて、ジャネット・ボイトンとの契約書にサインをしたのは、毎度のことながら、彼がひどい金欠病にかかっていたからだ。事務所の部屋代の請求書に応じなくてはならず、元妻のアイリーンに9百53ドルと数セントを支払わなくちゃならない。
ジャネットの話によると、ジェニーンは電話会社が修理や設置工事のテストに使う回線を、工事のない深夜に利用して、つながった相手と、いっときの情事を楽しんでいたらしい。どういう方法でか、この回線の番号を知った者たちが、回線の向こうの端に、孤独な話し相手を、行きずりの情事の相手を、ゲイはパートナーを探しているのである。
「666」の次に四桁の数字が並ぶ工事用回線は5本あって、ジェニーンが使っていたのは2,7,8,3の組み合わせ番号だった。ジャネットの語るところによれば、同じ番号を使っていた女たちのうちで、他にも3人が殺され、うち2人はジェニーン同様、バスタブで喉を切られている。
犯人が工事用回線の利用者なら、電話をかけつづけていれば、いつかは接触できるはずである。犯人がうんとカールした、6インチの長さの髪の男だということは、ジェニーンの爪に残っていた髪の毛でわかっている。それに、異常に巨大な手の持ち主であることも。
ジャネットが会う約束をした犯人像に合致する男を、ナッジが尾行し、調査することに話が決まった。
一方でナッジは、自身も工事用回線を試してみて、自殺志願の女性と交渉をもつことになる。
そして、おぼつかない足取りながら捜査が進み始めたとき、なぜかジャネットの母親が5千ドルで手を引けと要求してきたのだ。・・・・・
ジョン・ラッツの『深夜回線の女』の結末は、意外でもあり『ああ,やっぱりな』と思わせるものである。そして、この作品の基調となっているのは、都市型のブルースのもつ暗鬱である。
犯罪小説を読むという行為は、どこか、都会を流れる川の澱みを棒切れでかき回すのに似ている。いっとき、悪臭が立ち、汚物が浮かび上がる。だが、流れる水がゆっくりと、それらを、消し去ってくれる。岸に立ち棒切れを握っている者が、汚水によごれることはないのである。