月守 晋

ミステリーの町々

ミステリーの町々 ⑨ボストン

マサチュセッツ大通りとボイルストン通りの角にある、丸い塔のようなビルの2階にスペンサーがオフィスを移し、彼の恋人がまだ入り口の曇りガラスを磨いている最中に、早々と移転第1号の客がやってきた。
ガラスを磨いていたのは、裾を切り取ったジーンズに、紺と白の縞のタンクトップを着たスーザン・シルヴァマン。彼女は元プロボクサーの私立探偵で、じょうだん大好きのスペンサーが「スーズ」と呼ぶ恋人だ。
第一号の客はハーヴィ・シェパードと名乗り、家出した妻を探してくれという。それで5百ドルの前払いを置いていった。
二人はその金で、さっそく「ピアチ」へ昼食に出かけた。スペンサーお気に入りのピアチは海岸通りにあり、古煉瓦、古い梁の植民地時代風の大きな建物。カクテル・ラウンジはハドソン川に繋留した遊覧船を使っていた。

ボストンという名前を聞くと、いつもちょっと特別の感じを抱いてしまう。かつて難しい試験に受かった秀才たちが「フルブライト」でアメリカに留学したものだ。留学先の一番はハーヴァードで、そのキャンパスがボストン郊外のケンブリッジにある。

そのせいか、ボストンと聞くと直ちにイギリスよりもイギリスらしい、古い伝統を感じさせる学園文化都市、をイメージしてしまうという図式が、頭の中で固まってしまっている。
しかし、スペンサーの活躍するボストンは、そういうボストンじゃない。むしろニューヨークやシカゴやロサンジェルスといった、アメリカ的大都市だ。
さて調査を開始したスペンサーが、依頼人を自宅に訪ねていくと、ホークがいた。禿頭、頬骨の高い身長の黒人で、スペンサーに言わせれば、フリーランスの締め上げ屋だ。つまり彼がこんなところにいるということは、依頼人は妻君の家で以外にも何かトラブルを抱えている、ということになる。家出人は簡単に見つかった。ニュー・ベッドフォードの捕鯨博物館の裏通り、屋根に今にも崩れそうな赤煉瓦の煙突が立っている家がある。表のドアの赤が、年のいった売春婦の唇を思わせる妙な建物だが、パム・シェパードはそのうちの一人にスペンサーは金玉をけりあげられた。だが彼は得意の左フックを女のあごにお見舞いするというトラブルの後で、「そっとしておいてもらうのが私の望み」だというパムの希望を受け入れてスペンサーは引き上げた。

シェパードはスペンサーの見たとおり、トラブルを別にかかえていた。トラブルの相手はキング・パワーズという高利貸で、彼に手ひどく痛めつけられているようだった。
スペンサーは見つけたパムの住所をハーヴィには教えてやらなかった。そればかりか、五百ドルも返して、彼とは手を切ってしまう。
著者のロバート・B・パーカーのこの「約束の土地」は1976年度のアメリカ探偵作家クラブ長編賞を受賞した。

この作品の中で初めて、スペンサーの恋人スーザン・シルヴァマンにホークが紹介される。
ホークはこの後のパーカー作品には、サブ主役として必ず登場する黒人だ。ホークとスペンサー、それにスーズの三人がそろって、パーカー作品の魅力をつくりあげている。
パーカーは大学で、英文学を講義するれっきとしたプロフェッサー、だそう。彼の作品には、スペンサーが作る料理が必ずといっていいくらい出てくる。著者自身が実生活で料理を担当し、夫人の方がペンキ塗りをしているんだそうだから、スペンサーの料理はつまり、パーカーの料理だ。

スペンサーの料理といえば、ズバリこれをタイトルに使った『スペンサーの料理』という本さえ書いた人が日本にいる。
六フィート・二インチの大男スペンサーの作る料理は、たとえば羊肉、カモ、ピスタチオ・ナッツとアンチョビで作った田舎風パテを薄く切り、ホール・ホイート・ブレッドサンドウィッチにする、(『儀式』)。
さて、『約束の土地』は、スペンサーのしかけたわながうまくいって、事件としては解決する。しかし、シェパード夫妻の「男と女の間の愛」の問題は、未解決のままだ。
それがパーカーの書きたかったことらしい。
「知的な」ハードボイルドというパーカー作品の評価は、そんなところにもあるのかもしれない。

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