シカゴはまたの名前を、ウインディ・シティという。アメリカ第2のこの町は、夏冬ともにミシガン湖から吹き込む強い風が名物だ。
「わたし」は腐りかけたエールワイフ(ニシン科の食用魚)の匂いを嗅ぎながら湖岸のレイク・ショア・ドライブを走りランドルフ通りで、ループ(高架鉄道)の下をくぐり、ウォバッシュ・アヴェニューを南下した。シカゴはいま七月、蒸し暑く、魚の腐臭がするのは、湖の風が止まっているのだ。
「わたし」はモンロー通りで車を降り、ウォバッシュを渡ってモンロー通りの煙草屋の隣にあるブルトニー・ビルに入った。「わたし」の事務所は『のぞきショーをやっている数軒の店と市の留置場以外はなんにもない』このサウス・ループにある。
高架鉄道に面した賃貸料が割安の部屋のドアの文字が、薄暗い照明の下で読めた。(V/1ウォーショースキー・私立探偵)。
VはヴィクトリアのVで、「わたし」は女探偵なのだ。ループというのは、もともとは高架鉄道のことだけれど、シカゴでは、高架鉄道に囲まれた東端はウォバッシュ・アヴェニュー、西端はウェルズ・アヴェニューの東西五街区、南端はヴァンビューレン通り、北端はレイク通りの南北七街区の地域をさしてループといった。今はダウンタウン全体を指している。
ウォーショースキーは三回目の請求書が送られてくるまでは、支払いをしない主義だ(これを主義にするのはちょっとつらいことだよね)。その彼女の事務所に依頼人があって、五百ドルおいていった。依頼主は大手信託銀行の専務で、アニタ・ヒルという娘をさがしだしてほしいという。
シカゴ大の学生だというアニタの消息の手掛かりを求めて、彼女は久しぶりで母校のキャンパスに足を向けた。シカゴ大のキャンパスは市の南部、ミシガン湖岸のジャクソン公園とワシントン公園にある化学産業博物館は、子供に人気のある博物館だ。
十年前、彼女はここの法学部の学生だった。アイルランド系社会で部長刑事より昇進できなかった父親と、ユダヤ系イタリア人の母親の娘は、両親の期待を担って、年収五万ドル以上の家庭の子弟が五分の一いるというこの大学を卒業して弁護士になった。それが女だてらに私立探偵家業に入ることになったについては長い物語がある。
教務課でアニタとボーイフレンドのセイヤーの息子が、いっしょに暮らしているアパートを教わって、部屋を訪ねた女探偵は、強烈な腐臭を発している若い男の死体を発見するはめになる。
セイヤーの息子ピーターはエイジャックス保険会社でアルバイトをしていたらしく、給与明細書が見つかった。
ガラスと鋼鉄でできた現代的な超高層ビルの六十階ぜんぶのフロアを占めるエイジャックスは、ループのV・1の事務所の近くにある。というのはもちろん、お話しの中のこと。地図をたよりに推測してみると、彼女の事務所の近くに現実にあるのは、カーソン・ビリー・スコッツというシカゴ二大百貨店の一つということになる。
もう一つの百貨店が、「魅惑の一マイル」と呼ばれるミシガン通りから西へ二街区いった、ニューヨークの五番街と肩を並べるショッピング・ストリートといわれるステイト通りにあるマーシャルフィールドだ。ついでながら、湖岸のグラント公園の南端に隣接する自然史博物館は、このフィールド家の寄付で創設された、質・量ともに世界屈指の博物館で、マウンテン・ゴリラや今では絶滅してしまった動物の剥製を観るのに一日かかったおぼえがある。あちらの金持ちはやることがすごいんだよ、ね。
さて、ウォーショースキーだけれど、エイジャックスのオフィスで細いウエストとブルックス・ブラザーズのズボンが身体にぴったり合っている男前の三十代の男を「ゴールデン・グロー」に誘って、調査を開始した。酒場は前世紀に建てられ、馬蹄型のマホガニーのカウンターが今も残り、バーテンダーのサルは身の丈六フィートの堂々たる黒人女というカポネ時代さながらの酒場だ。
1976年に初めでこの町を訪れたときには、カポネのオフィスがあったという煉瓦造りのビルを見せられたけれど、あれはまだあるのかしらん。
エイジャックスの男ライフとの事情やら、マフィアに痛めつけられるやら、女探偵大忙しの活躍で調査が進みだしたころ、今度はピーターの父親でエイジャックスの専務のジョン・セイヤーが殺された。
事件は女探偵の機知と、捨て身の空手技とで終結するのだけれど、V・Iウォーショースキーをヒロインとする連作の第一作、この「サマータイム・ブルース」は女性を主人公としたハード・ボイルドだという点で新鮮だった。作者のサラ・パレツキーは自身がシカゴ大の出身で博士号をもち、夫は大手保険会社の幹部という背景だ。
女探偵といえば、P・Dジェイムズのコーデリア・グレイも魅力のあるヒロインだけれど、あちらはイギリス・ミステリーの伝統を継ぐ女主人公だから。
シカゴは町の中にピカソやミロの彫刻や壁画が置かれ、唐もろこしをたてたような円形のマリーナ・シティ、世界最古の鉄骨高層建築ルーカリィ、1867年建築の給水塔、110階443メートルのシアーズ・タワーなどをもつ建築の町でもある。冬にはミシガン湖でとれるワカサギのフライも食べられるし、一度訪ねてみるといい。