【希有な女性たち】(2)■化石糞の女性研究者■
1999/09/24
青森県の三内丸山縄文遺跡が発掘されて、そこで古代の人々がどんな暮らしをしていたかがわかってきた。
それはわたしたちが、中・高校の教科書から得た知識で作り上げていた頭の中の縄文時代とは、大変に違うものであることもまたわかってきた。
三内丸山の縄文人たちは、食用に栗の木の栽培をしていたらしい。遺跡から掘り出された多数の栗の実の遺伝子情報を分析した結果、親木は違っても明らかに同じ特徴をもってい
ることがわかったという。“狩猟採集生活”、それが縄文人の暮らしのすべてと信じていたけれど、とんでもない、植物を栽培して利用するという高度な技術ももっていたことになる。
もっとも、縄文人の生活が想像以上に豊かなものだったことは、1962(昭和37)年から85(同60)年までほぼ四分の一世紀かけて発掘調査が行われた、福井県三方五湖
の鳥浜遺跡の調査研究でも知られていた。この遺跡からはアフリカ原産のヒョウタンやインド原産のリョクトウ(緑豆)、それにシソやエゴマの種が発見され、食用野菜の栽培が
推測されていたし、ここにもクリ畑があって栽培されていたと主張する研究者もいたのである。
この遺跡からは日本で最初の丸木舟も出て(昭和56年7月)話題になった。
古代遺跡からは思いがけない遺物も出土する。たとえば「糞石」。文字どおり、古代人のウンチだ。人間の排泄物も土中で地球の圧力に耐えて何千年かの時をへると、りっぱな石
に変化する。化石となる。これを「糞石」と呼ぶのである。
この「糞石」を分析すると、縄文人が口に入れ、咀嚼し、胃へ送り込み、大小腸で栄養分を吸収した食物の実体が判明する。つまり、六千年から八千年前の鳥浜人たちがどんなも
のを食べていたか、どれほど食べていたか、カロリーと栄養状態はどうだったかがわかるのだ。名前もつけられている。ハジメ、バナナ、シボリ、コロ、チビ、チョク。
命名者は女性の考古学研究者、千浦美智子、「糞石」研究の開発者である。国際基督教大学の助手で、昭和50年から発掘調査に参加していた。同じ大学の分子遺伝学の助手をし
ていた男性と結ばれ、女の子の母親になってもいた。しかし、研究半ばの昭和57年10月、ガンに捕らわれ早世した。35歳。カナダのトロント大学で学び、遺跡の土を大小の
目の金網でふるい分けて出土品を選別する「ウォーター・フローテーション法」の紹介者でもあった。