【希有な女性たち】(1)■文豪夫人になったスウィンガー■
1999/9/10
ヘンリー・ミラーは1934年、パリで書いた『北回帰線』で作家として認められた。最初にこれを書評で取り上げたのは『動物農場』や『1984年』のイギリス人作家ジョー
ジ・オーウェルだった。『北回帰線』はしかし、フランス当局から発禁処分に遇い、ミラー本人も起訴される。大胆なセックス描写が当局のお気に召さなかったのだ。やっと解禁になり、本にできたのは
それから30年後の60年代になってから。戦争はあらゆる価値基準を引っ繰り返し、ミラーは一躍、世界的に名の知れた文豪になった。
1891年生まれのミラーはすでに、七十代の老年期に入っていた。
1967年、五回めの結婚をする。相手は「ホキ」と呼ばれていた日本人の女性だ。ロサンゼルスのサンセット・ストリップにある「インペリアル・ガーデン」で弾き語りをして
いた。ホキがミラーに会ったのは、ピンポンの腕を買われて20世紀フォックスのお抱え医師邸に連れていかれたためだ。「絶対に負かしてやってくれ」と頼まれたピンポンの相
手が当時、『北回帰線』や『南回帰線』が刊行されて、ヨーロッパでもアメリカでも“時の人”になっていたミラーだった。しかし、どんな球でも台に体を張りつけて受けまくるミラーに負けてしまう。
ホキとミラーは11年いっしょに暮らし、78年に離婚した。『文豪夫人の悪夢』は86年に帰国したホキが、85年から86年にかけて「週刊読売」に連載、86年末に主婦の
友社から単行本になって出た。
映画俳優や歌手、作家、大金持ちなど世界的な有名人の名前がぞろぞろ出てきて、プライベートな裏話が語られる。
たとえば、LAの高名な刑事専門弁護士邸で開かれたパーティーは、出席者も給仕もみな“よだれの出るような”イイ男ばかりだったけれど、みな「バイ」か「ファッグ」だった
とか。同じくLA在住のフランス総領事邸の二階には、なぜか「アフォーダブル・ピープル」が好む“処刑部屋”風のベッドルームがあった、とか。パリはセーヌ川左岸のさる館
で見せられたフィルムの主役が、この総領事の妻になったとか。
まあ、ともかく一読に充分値する。もっとも、この本、その後ビッグセラーになったという話も聞かなかったから文庫に入ってはいないだろう。今では古本屋で手に入れるしかな
いかもしれない。埒外の、希有な女性による、希有なお話だ。