【あの雑誌が創刊号のころ】■BOOKMAN■
1999/8/13
昭和50年代後半(1981-85 )は、雑誌の創刊ブームの時代だった。それ以前の10年間は雑誌の売上と書籍の売上がほぼ拮抗していて、書籍の売上が多い年もある。だけど55
年からは雑誌の売上が書籍の売上を圧倒するようになって、56年には約1千億円の差がついた。それ以後この“雑高書低”の傾向はそのまま現在もつづいている。
雑誌創刊ブームが頂点を極めたのは、創刊誌が250誌を超えた昭和58年。前年の57年も230誌を数えたけれど、そのうちの1誌が“本の探検マガジン”と角書のついたBOOK-MANだ。
サイズはB5判、平綴じ、右開き、本文18×33行4段組が基本。64ページで定価が450円、昭和57年10月1日創刊、発行・イデア出版局。奇数月刊行の隔月刊。
このころ、書店の店頭から本の消えていくスピードが毎年加速されていて、作るほうも読むほうも危機感をもっていた。第4次文庫ブームともいわれ、広済堂文庫、福武(現ベネ
ッセ)文庫、ちくま文庫などが新しく参入していたけれど、その文庫も消耗品そのものとしてどんどん新刊が短時日のうちに版元に返されていた。もっとも、一週間でも書店の棚
に並べてあれば幸運なほうで、ダンボール箱から出してもらえない新刊書がたくさんあった(いまもある)というのが、店の奥での実情だった。
BOOKMANの創刊はそうした状況が母胎になっていて、特集は「なぜか、いま岩波文庫が読みたくなった!」というタイトルで、「知の権威」(つまり岩波文庫のこと)神話
の黄昏(若い世代に見向きもされなくなった)を取り上げ、“面白主義”でいけば絶対、復活できるよと岩波文庫の再発掘を呼びかけている。
「ぜひ再販してほしい20冊」とか「絶版(1096点!だぜ)リスト」もついている。
もちろん、新刊紹介もやっている。ミステリーはこのころも絶対の“売れ筋”で、老優・中村雅楽が探偵役のシリーズの1冊、戸板康二の『目黒の狂女』が取り上げられている。
それと目につくのは、翻訳されたコンピュータ犯罪の研究書の紹介。日本では昭和56年が“コンピュータ犯罪元年”だそうだけど、紹介されているのはコンピュータ先進国アメ
リカで起きた事件の捜査記録がほとんどだ。
ところでこの雑誌の編集に、ミステリーの評論で知られる瀬戸川猛資が創刊の翌年から加わっていた。五号(58年7月号)から編集長を務めている。
瀬戸川は早稲田の学生だったころから、センスのいい評論で活躍していたが、今年3月、この世を去った。
五月に文庫型の創元ライブラリで『夜明けの睡魔-海外ミステリの新しい波』が刊行されたが、創元社の社長はBOOKMAN創刊時から瀬戸川の親友だったということだ。