【あの雑誌が創刊号のころ】■歌舞伎■
1999/10/01
伝統演劇の歌舞伎にも盛衰はあった。人気が衰えたのには、華のある役者がいなくなったためとか、戦争のためとか理由はいろいろだったろうが、いちばんの理由は、時代の気分
というか、人々の気持ちにぴったりくるところがなかったからだろう。
表紙題字に尾崎紅葉の文字を使った季刊雑誌「歌舞伎」は、昭和の歌舞伎を創るために創刊された。脚本家で演劇評論家でもあった野口達二が編集長、創刊号は特大号として28
0ページもあり、「鶴屋南北の人と作品」を特集している。昭和43年7月1日の発行。
発行所は松竹株式会社演劇部。定価が年間2000円、つまり1冊500円だ。
表・表紙裏に三越、裏表紙に高島屋、観音開き(仏壇の扉のように左右に開く)の目次の裏にも松阪屋や京王百貨店の広告が入ってる。デパート業はこのころ元気があって、一流
の優良企業だった。とくに日本橋の三越などは、盛装していなきゃ入りにくいような雰囲気があった。
「能どり物の所作事」と題した口絵写真には歌右衛門の「京鹿子娘道成寺」、団十郎と松緑の「勧進帳」、左団次・梅幸の「紅葉狩」、猿翁の「黒塚」、勘三郎の「高坏」の一場
面がそれぞれ採られている。歌右衛門のほかはみな故人になった。そういえば本文の書き手の多くもいまはすでに亡い。三十年前だから無理もないか。
特集は52ページから延々225ページまで。南北の生まれた時代の考察から作劇法、作家論、作品論、代表作「東海道四谷怪談」の細見、新劇版「四谷怪談」との役作り比較、
錦絵、大道具・小道具・仕掛けの数々の図解きと解説、それに作品ベスト・スリーまで、欠けてるところがない充実ぶり。ちなみに南北の作品は、主要なものとしてここに挙げら
れているものだけでも49本もあり、ベスト・スリーには「四谷怪談」「絵本合法衢(えぼんがっぽうがつじ)」そして「隅田川花御所染」が選ばれている。二番目のは敵討ち狂
言、三番目はお姫さまが堕落して漂白するというパロディで、俗称「女清玄」。
ところでこの「歌舞伎」、第三期の復刊なのだ。第一期は鴎外の弟で医者・劇評家だった三木竹二が明治三十三年に創刊、死亡した四十一年に伊原青々園に引き継がれ、大正四年
まで続いた。第二期は浮世絵と歌舞伎研究で著名な吉田暎二が、歌舞伎座出版部部員として編集したもの。昭和25年5月から30年月まで50冊が出た。
野口編集の「歌舞伎」は五十三年四月の第四十完結号で終刊となる。終刊号特集は「<色気>を見なおす」で、歴代の名女形が口絵に登場している。発行人の巻頭随筆によると創
刊時5千部だった部数は13号から3千5百部、22号から3千6百部、32号からは3千部になった。定価も600円、800円、1300円と上がった。別冊・単行本も合わ
せて全部で50冊が刊行されている。
編集長の野口達二は今年二月、病死している。