月守 晋

あの雑誌が創刊号のころ

【あの雑誌が創刊号のころ】■東アジアの古代文化■

【あの雑誌が創刊号のころ】■東アジアの古代文化■
1999/12/17

季刊誌「東アジアの古代文化」が ’99年秋号で創刊100号になった。創刊は1974年1月。昭和49年である。この年、日本と韓国の間は「金大中問題」で揺れ、韓国朴大統
領狙撃事件で夫人の陸英修女史が亡くなり、東京丸の内の三菱重工、新橋の三井物産などが東アジア反日武装戦線の爆弾テロのターゲットになり、立花隆の「田中角栄研究-その
金脈と人脈」が田中首相退陣の口火を切った。

「東アジアの古代文化」は「あらゆる政治的な干渉からも」「いかなる偏見と差別と反発からも」「<東アジアの古代文化>に関する真実の探求を解放する」目的で創刊された。
発行所は株式会社寺子屋出版社、発売元・大和書房、責任編集兼発行人・鈴木武樹。
A5版、244ページ、定価720円。

鈴木武樹という人は歴史の専門家ではない。本職はドイツ文学者で、昭和50年には明治大学教授になっているが、<ベトナムに平和を、市民連合>に参加したり、47年にはプ
ロ野球選手の生活相談所を開設するなど活動範囲は広く、著書も多い。49年まで<東アジアの古代文化を考える会>事務局長を務めていた(53年3月死去、享年44歳)。

創刊号の特集は「倭と倭人の世界」。連載対談第一回は「辰王朝に倭国王の出自を探る」をテーマに江上波夫と鈴木の対談。江上波夫は元東大教授。戦後すぐの昭和23年、大和
朝廷の騎馬民族征服王朝説を発表、学界ばかりではなく、一般国民にも衝撃を与えた。東北アジア系の騎馬民族が南下してまず朝鮮南部を支配し、やがて弁韓(任那)を基地とし
て北九州に侵入、さらに近畿を制圧して大和朝廷を樹立した、という説である。壮大な歴史ロマンとして素人にもうけたが、平成3年、佐原真によって完全に否定された(『騎馬
民族は来なかった』NHKブックス)。
対談は倭国に渡ってきた騎馬民族の中核は辰王朝の子孫だった、という江上教授の主張をめぐって展開している。

「広開土王陵碑」については、中学校の歴史では「好太王碑」の名称で教えられているかもしれない。四世紀後半に大和政権が朝鮮に進出し、約2百年にわたって朝鮮南部の任那
に日本府を置き経営にあたったと叙述され、それを裏付ける確実な資料として広開土王陵碑文が写真図版で掲げられていたものである。
この説を対して、碑文中の倭・任那関係の箇所は旧陸軍参謀本部が改ざんしたもの、という主張が韓国人考古学者・李進煕氏によって出されて、歴史学界に強い波紋を及ぼした。
その様々な反応を採り上げたのが、この創刊号の次の主要論文になっている。筆者は後藤孝典。

そのほかには「東アジアの神話から見た日本神話-大林太良」「五世紀までの中国・朝鮮の古典に現れた倭-井上秀雄」「古墳時代における家畜-加茂儀一」など。連載翻
訳で「三国史記」が始まっている。
日本の歴史を東アジアの国々との関係から見直そうという、新しい歴史研究の開幕を告げる刊行だった。

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