〔人それぞれの・・・〕■武田百合子■
1999/5/14
武田百合子は作家・武田泰淳夫人。夫・泰淳が昭和51(1976) 年10月5 日、転移した肝臓ガンのため死去したあと、
文芸雑誌「海」の同年12月号に「富士日記・・今年の夏」100枚を発表、一躍注目をあびた。
埴谷雄高が「天衣無縫の芸術者」「その発想は、一見、並はずれて突飛で愚かしいほど奇抜でありながら、
誰も思い及ばぬ数億キロの飛躍のなかで、事物の核心をすべて喝破している」(中央公論社刊『富士日記』上巻の帯の推薦文より)、と評している。
富士山麓の別荘で過ごした夫妻の13年をつづったこの日記は、泰淳の死後1年たった52年10月10日付けで上下2巻の単行本になった。
聖書ぐらいの大きさの布張り表紙の見返しに泰淳のペンで「不二小大居百花庵日記」と記されていて、「おれと代わるがわるメモしよう。
それならつけるか?」と言われて書きはじめた、と説明されている。
昭和39年7月4日にはじまるこの日記の特色は、毎日の3度の食事の内容と買い物の値段が詳細に記録されていることだ。
なるほど、これならば誰にも書くことがあるわけで、13年も長続きした秘訣でもあるだろう。
たとえば41年1月3日、里芋、ねぎ、きゅうり3本105 円、りんご5 個100 円、みかん20個25O 円、などと。
合計675 円と足し算がまちがっているところもご愛嬌である。
この日記の魅力は随所に登場する地元の人びと。独自の視点から、子細に具体的に描写されていて、目の前で動きしゃべっているような気分にさせられる。
下巻では別荘の隣組になった大岡昇平夫妻との交遊が楽しい。
43年3 月23日、酒屋でうどん玉やビールなど3580円ほどの買い物をした。そのうち50円はチョコレート代だ。
たぶん板チョコだろう。具体的に値段を記録してもらうと、別の面でも貴重だ。
『富士日記』は刊行の年に田村俊子賞を受賞、54年上梓の『犬が星見た・・ロシア紀行』は読売文学賞。
平成5年死没。村松友視の評伝『百合子さんは何色』がある。