〔あの雑誌が創刊号のころ〕■新鮮■
1999/5/7
「古い主婦感覚の時代は終わった!これからは『新鮮』時代」をうたい文句に、「新鮮」が創刊されたのは昭和52(1977)年11月。
前回紹介した「わたしは女」と同年の発行。この年、女性誌の創刊があいついだことは前回にも述べたが、
内容は「わたしは女」などの雑誌とは対局にある。外見の衣装だけは新しく見えるけれど。
編集長後記に、・夫と妻の問題と未来関係 ・健康と美容の問題 ・生活防衛の問題 ・受験 ・しつけの問題、の四つを長期の読者調査から、
この雑誌が徹底して取り組むテーマに選んだことが述べられている。
そしてページも問題ごとに四分割され、問題ごとに中扉で仕切られ、第一~第四「分冊」と呼んでいる。これは受験雑誌の手口だ。
各分冊の前の80ページほどがグラビアや特集。3大特集の一つが「牡羊座の女・仁科明子の愛と残酷」。
昨’98 年、俳優・松方弘樹との離婚騒動で連日、TVのワイドショーの画面をにぎわせたが、
この当時24歳だった仁科は三人の子供のある松方との愛をつらぬくべく、父・岩井半四郎の思いに反して、京都の松方のもとにはしった。
それにしても、牡羊座の女、とはね。必死の思いで選んだ道を、星占いで”宿命”にされちまってはなぁ。
第一分冊では、羽仁進と額村喜美子の間の往復書簡が公開されている。
48歳の羽仁は17年余生活を共にした女優・左幸子と別れ、左の実妹・喜美子と再婚した。その経緯を書簡のかたちで公開したのだ。
公開の是非は別にして、こういう男女の関係は昔からよくあった話、ではあるけれど。
第四分冊・教育・受験の問題のトップ記事は”親がやるべき受験作戦”としての「越境入学成功術」。
「東大へつながる一流校へのコースは限られている」から越境してでもそれへ乗せろ、というわけだ。
イジメから逃れるため、荒れた学校を回避するため、など理由は変わってきたけれど、越境入学の実態は現在もつづいている。
260 ×208 ミリの変形版、298 ページ、定価430 円。祥伝社発行。この雑誌、やがて有名人のスキャンダルとセックスと金儲け記事が売りの雑誌になったことはご承知のとおり。