月守 晋

食の大正、昭和史

食の大正・昭和史 第五回

2008年10月15日

食の大正・昭和史—志津さんのくらし80年—  第五回

月守 晋

ライスカレー、コロッケ、トンカツ、この三つが“大正の3大洋食”といわれているようである。

コロッケについては、志津さんの3男にありありと思い出すことのできる記憶がある。それは夕闇の迫った薄暗がりの台所で、母親が小声で歌いながら揚げ物をしている姿だ。

ワイフもらって うれしかったが
いつも出てくるおかずが コロッケ
今日もコロッケ 明日もコロッケ
これじゃ年がら年じゅう コロッケ
アッハ ハッハ ハッハ ハ
やれおかし

益田太郎冠者(かじゃ)作詞の「コロッケの唄」が実際に世の中に現われたのは大正9年のことだが、どこかペーソスを含んだこっけいな節まわしとあいまって、ことに安月給のサラリーマン層を中心に広まった。

この年、大正9年、東京の割烹講習会が馬鈴薯(ばれいしょ)の料理144種を紹介する料理本を刊行した。

馬鈴薯はそれほど食材として安価で料理がしやすく、どんな料理にも使えてしかも、おいしく食べられるすぐれものだ、ということだろう。

食材といえば、ライスカレーには必ず使われるタマネギは明治4年に北海道開拓使(それまで蝦夷地
<えぞち>と呼ばれていた呼称を明治2年北海道と改め、開拓使という行政府をもうけて農業、資源開発にのり出した)がアメリカから取り寄せて栽培を始めているし、明治19年には東京の洋食店でライスカレーが7銭で食べられたというから、必要な香料(ターメリック)もルーの形でか粉末の形でか輸入されていたに違いない。

トンカツの材料、ブタ肉は牛肉に比べるとこのころから安かった。明治27年に東京の煉瓦亭(れんがてい)がトンカツをメニューに加えたというが、38年の神戸又新日報の記事ではブタの上等肉でも牛ヒレ肉より4割は安く売られている。

トンカツのつきもののキャベツは勧業局が明治7年にぶどう、梨、りんごなどの果樹の苗と共にキャベツやトウモロコシの種子を輸入して各地に配布しており、秋田県内では明治18年に“玉茎(たまくき)”と呼ばれて栽培する農家がふえたという。

つまり、大正の3大洋食の基礎となる食材は明治時代にほぼ調っていたわけで、その食べさせ方、料理法が問題だった。

高価な牛肉のカツレツに代えて安い豚肉を使ったトンカツ、牛肉のミンチ少量をジャガイモをゆでてつぶしたものに混ぜて俵(たわら)形または小判形に丸めて油で揚げるジャガイモコロッケ、そして皿とスプーンを使って食べる洋風汁かけ飯ともいうべきカレーライス、大正の3大洋食はまさに、西洋食に対する日本的対応の精髄であったといえよう。

さて、幼女期の志津さんがどんな日を過ごしていたのか、実は本人にもまったく記憶がなかったために再現することが出来ない。ただ、実父が身近にいないとはいえ、実母には志津さんが6才になるまで、それとは教えられてはいなくても、年齢のずいぶんと離れた姉として接することが出来た。他の兄姉も“末娘”にはやさしくて、志津さんはかわいがられて育ったのだ。

しかし、幼稚園には通っていない。

この国に最初の幼稚園が出来たのは明治9年のことである。東京女子師範学校に開設された付属幼稚園がそれである。男女の区別なく満3才以上6才以下の児童を受け入れ、唱歌、修身、戸外遊び、お話の時間などドイツ式の保育が行われた。入園者は75人で、さすがに裕福な上流階級の子供で占められていた。

幼稚園数はその後も増え、大正元年に533、4年には635になっているが、保育料も年額22円と高額
だった。(次回に続く)

参考 : 『近代日本の心情の歴史』 見田宗介/講談社

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