月守 晋

食の大正、昭和史

食の大正・昭和史 第二回

2008年09月24日

食の大正・昭和史—志津さんのくらし80年— 第二回

月守 晋

■明治天皇崩御と大正時代の始まり

志津さんがあと2ヶ月で満1才になる(当時は数え年だったので、正月を越したところで2才と勘定された)という7月30日、天皇が崩御(ほうぎょ)された。嘉永5(1852)年9月22日(太陽暦では11月3日)生れだから61年の波瀾の生涯をおくられたことになる。20日の『官報』号外で宮内省が発表した病状は「37年以来の糖尿病、39年以来の慢性腎臓病、現在は尿毒症」というものだった。

明治天皇のご葬儀(大喪)は東京青山葬場殿で9月13日に行われたが、その当日、陸軍大将・伯爵・学習院長乃木希典(のぎ まれすけ)夫妻が遺言を残して殉死(じゅんし)した。生方敏郎(1882?1969)の『明治大正見聞史』には天皇崩御と乃木夫妻の殉死に一般の人びとがどのように反応し、一方で新聞がどのように報道したかを具体的に書いていて興味深い(中公文庫昭和53年刊)。

■大正時代の開幕

明治天皇が午前0時43分に崩御されると、皇室典範によって嘉仁皇太子が践祚(せんそ)された。践祚式は午前1時に終わり、元号も「大正」と改められ、新しい時代が始まった。

この年7月は連日猛暑が続き、明治天皇崩御前後の十数日はセ氏32°?34°という異常高温だったという。前年から続く米の騰貴は修まらず、7月には1升(=1.5kg)が31銭8厘と過去最高を記録した。小学校では弁当を持参できない児童がふえ、弁当の盗難が多発した。近頃中学生で“ホームレス”になったお笑い芸人の告白本がベストセラーになったけれど、大正初期には低所得者層の家庭が生活を維持できなくなり、一家離散に追いこまれるケースがふえている。

この年雑誌「婦人の友」が老人1人、夫婦に8歳と5歳の子供2人の5人家族、1日の献立費用35銭という条件で1週間の献立を作るという懸賞募集をした。1等賞金5円というこのコンクールの入選作が6月号に発表されたが、1等の献立は味噌汁、豆腐、魚のほかジャガイモのバター焼き、コロッケ、キャベツの漬物などバランスのとれたものだったという。

日露戦争(明治37.2?38.9)の影響が物価にも強く残っていて、明治33年の値段を100として、45(大正元)年には米177、大豆142、小豆176、味噌181、鰹節125、鶏卵130というぐあい。下がっているのは醤油93、牛乳84、たくあん77くらいのものだった。(東京物価品別平均指数/商業会議所調)

当時、大工の日当が80銭で、左官は少しよくて83銭。仮りに大工の家庭で食費に1日35銭かけるとすると、エンゲル係数は44パーセントということになる。家賃や衣服代、水道やたきぎ・炭代など他にも生活経費はかかるので、とても食費に35銭などかけてはいられないだろう。

銭湯の入浴料金が東京で大人が3銭、全国の49都市に普及したガス料金は1立方メートル6銭4厘だった。(『値段の明治・大正・昭和風俗史』朝日文庫)

さて神戸は、1868(慶応4=明治元)年に外国との貿易港として開港して以来、外国文化が居留地の外国人と共に入りこんだために生活文化の面でも“日本最初の”と形容される事柄が多々ある。例えば明治17年に日本初のミネラルウォーター「平野水」が売り出されたし、ゴルフ場はイギリス人たちが六甲山に36年に開設したのが最初である。

参考: 『神戸と居留地?多文化共生都市の原像』 神戸新聞総合出版センター
『新聞集成大正編年史』

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