月守 晋

食の大正、昭和史

食の大正・昭和史 第二十七回

2009年05月28日

『食の大正・昭和史—志津さんのくらし80年—』 第二十七回

月守 晋

 

●明治と昭和にはさまった時代

「大正デモクラシー」という言葉がある。松尾尊兊『大正デモクラシー』(日本歴史叢書/岩波書店)によると「日露戦争のおわった1905年から、護憲三派内閣による諸改革の行われた1925年まで、ほぼ20年間にわたり、日本の政治をはじめ、ひろく社会・文化の各方面に顕著にあらわれた民主主義的傾向をいう」とされている。歴史学者の井上清は「1910年前後から1920年代にいたる」期間を“”つきでこう呼んでいる(月刊誌「流動」 1974年臨時増刊「大正デモクラシーの時代」収載)。

神戸市の川崎・三菱両造船所の労働争議もこの時代の流れの中の大きな波動であったのだが、結果は争議団側の「惨敗宣言」で終わった。

『明治大正見聞記』の著者生方敏郎は「大正十年が労働問題で賑わったのは事実、日本ばかりでなくイギリスでも大変だった、ロンドン市民がエメラルドのような碧空を仰ぎ見ることのできる日が幾日か続いたというのだから大変な事件だ」「神戸の労働騒ぎも永く続いてなかなか真剣に見えたが、終(しま)いはコソコソとお終いになってしまい、折角の大山鳴動一鼠を出すの感・・・・しかし一般社会に何らかのショックらしいものを与えた」と述べている。

“霧のロンドン”と呼ばれたロンドンの霧の発生源が市内・郊外の工場の煙突が吐き出す煤煙だったことは広く知られていた。

大正デモクラシーの時代は文化・生活・風俗の面でも西欧を手本にして近代化(モダナイズ)が試みられた時代でもあった。

小菅桂子『にっぽん台所文化史』(雄山閣/‘98)には「大正期は第一家電時代」という見出しが立てられていて、「主婦之友」の大正7年4月号に掲載された東京・高田商会の「文化生活と家庭の電化・・・・云々」という広告を紹介している。その広告文は家庭の電化とはいかなるものかということを、「家庭の電化とは煮炊き料理は勿論(もちろん)風呂を沸(わ)かしたり洗濯をしたり掃除をするのに電気を利用すること」と解説している。

同書には大正11年にサーモスタット付き電気釜400円、電気七輪25~30円、トースター30円、コーヒー沸かし50円、牛乳沸かし32円位と売り値も紹介されているのだが、小学校教員の初任給が40~55円、銀行員の初任給50円という時代では、おいそれと家電製品を買いそろえるというわけにはいかなかった。ここで紹介されているのは米ウェスチングハウス社製のものだが、わが国で本格的な家庭電化が始まるのは太平洋戦争後、それも昭和30年代のことで、昭和30年に電気洗濯機の月産が5万台を超え(正価2万8000円)、家庭用電気釜が東芝から発売された(タイムスイッチで時間を設定できる自動炊飯器、6合炊き、600W、定価3200円/大卒初任給1万円)。

小菅氏によると「大正時代の食生活は、明治時代にほとんど無差別に取り入れた西洋の食品や料理を、日本型の食生活の中に吸収同化した時期であったと見ることが出来」、「西洋料理が日本人の日常食のなかに根を下ろし、両者が融合して新しいパターンを作りあげた」のが大正時代だという(前掲書「西洋化は料理から」)。

つまり食生活の面では、“新時代”が始まっていたということだろう。

わが志津さんの関東炊きジャガ芋やジャガ芋コロッケはまさにそのよい例なのだ。

ちなみに長野県伊那地方でバレイショの作付けが普及しはじめるのが明治3年(1870)のこと。「男爵」と呼ばれている品種がアメリカから北海道に輸入されたのが明治40年(1907)、ジャガイモ全体の生産量が105万トンと初めて100万の大台を超えたのは大正5年(1916)のことである。(『明治・大正家庭史年表』/河出書房)

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