月守 晋

チョコレート人間劇場

阿刀田 高

2009年12月02日

27. 「ジャムよりはチョコレートのほうが高級品である。しかし同じ値段なら、チョコレートのほうがはるかに品質が劣る」
——- 『第25話・パンと恋と夢/食卓はいつもミステリー』 阿刀田 高
「戦後に食べたコッペパンも忘れられない食品の一つ」と書いています。念のために「戦後」とは満州(中国東北部)事変(昭和16年)に始まり昭和16年12月8日に開戦した太平洋戦争が敗戦に終わった昭和20年8月以後、という意味です。

そのコッペパンを売る店ではジャムとチョコレートを用意してあって、どちらかを選んで頼むと楕円(だえん)形のパンを「上下二枚に切り」、包丁で切断面に平らに伸ばしてぬってくれる。でも、切断面一面には塗ってくれなくて端のほう幅1センチくらいは白いまま残してある、のです。
「近所のパン屋には同級生がいて、彼が店番をしているときは両面にぬってくれる」、つまり、ほかの人が店番のときは片側の面しかぬってもらえないのですね。

代償として著者は夏休みの宿題ノートをいつも貸してやっていたそうで、店番をする同級生のほうも夏休みの終わるころには著者がコッペパンを買いに現れるのを心待ちにしていたのではないでしょうか。パンにチョコレートを2度ぬって、夏休みの宿題ノートの答えが全部手に入るのならもうけものですよね。

このジャムもチョコレートも1斗缶に入っていました。1斗缶は10升(しょう)の分量の醤油や食用油などが入る長方形の缶で、パン屋の業務用のジャムやチョコレートはこの缶に入っていたのです。

「1斗缶に入っていたのはチョコレートをほんの少量だけ入れた混ぜ物だったろう」というのが著者の推察ですが、戦後の食糧事情を考えれば当然そうだったろうと思えますし、誰もが冒頭の文のような判断に達するはずです。商品の質が優れていれば値段も高くなるというのが常識です。「チョコレートと言えば、ハーシーの板チョコは目がくらむほど豪華な菓子だった」とも書いています。

これは阿刀田だけではなく、敗戦後に進駐軍の米兵からチョコレートをもらって食べた経験のある当時少年だった多くの人々の回想に「こんなぜいたくなものを食っているアメリカとの戦争に負けたのは当たり前」だという感想がよくあります。口にしたものが、アメリカ兵の戦場で支給されるレーション(1食分の弁当)のことも多いのですが(レーションにはハーシーのチョコレートがついていた)。

阿刀田高にはミステリーや奇妙な味のユーモアや恐怖小説が数多くありますが、さまざまな分野にわたるエッセイも書いています。

『食卓はいつもミステリー』には45話の「食」に関するエッセイが詰まっています。

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