月守 晋

チョコレート人間劇場

開高 健

2008年11月12日

6. 「・・・・・・比べると、マリリン・モンローとその骸骨ぐらいの違いがある。」
——- 開高 健

1965年2月14日午後0時35分、作家・開高健は南ベトナムのジャングルの中にいました。その日は午前4時に起き、5時にベーコン・エッグスと熱い紅茶、アップル・ジュースの朝食を終え、20台の大型軍用トラックに分乗した3大隊500名の南ベトナム軍兵士と共に基地を出発、6時には目的のジャングル入口のゴム林に到着しました。

作戦目的は恐ろしく強力なことで有名なベトコン第303大隊500名を殲滅すること。南ベトナムの大隊にはアメリカの“軍事顧問”と呼ばれた9名の将校・兵士が同行していました。そして日本の、朝日新聞社報道特派員開高健と同社出版写真部員、開高が“秋元キャパ”と呼んでいた秋元啓一カメラマン。

12時半、指揮官のトゥ中佐が大喜びで声を上げます。黒の農民シャツ、ライフル銃弾、ピストル銃弾、30数発の手製・アメリカ製手榴弾(しゅりゅうだん)、数キロの米が隠してあるベトコンの補給庫を発見したのです。南ベトナム軍の兵士たちはピャウピャウパウパウはしゃぎながら木枠の中味を自分たちのバッグの中に入れ、米を地面にばらまき、箱を壊しました。

5分後。周囲のジャングルの至近距離からマシン・ガン、ライフル銃、カービン銃の銃音がひびきました。

開高と秋元カメラマンが行動を共にした第一大隊の200名は、ベトコン、ベトナム民族解放線前側の至近距離からの乱射で生存者17名になっていました。開高と秋元キャパは水を一口ずつ飲みあい、シャッターを押してお互いの写真を撮り、枯葉の上に身を横たえ脱出の機会を待ちました。

太陽の光が薄れ、ジャングルが薄暗くなりかけた6時ころ、生き残った17名は必死の脱出を始めます。作家とカメラマンはバラバラに別れ、再開できたのはその日の深夜近くになってからでした。

作家はこのジャングルでの体験を含む約100日間のベトナム滞在をルポタージュとして「週刊朝日」に連載し、これは後に『ベトナム戦記』として刊行されました。また高い評価を得た小説『輝ける闇』の主調音となっているのも、ベトナムでの体験です。

さて冒頭の一節、何に「比べ」てかというと、「それまで食べてきたチョコレート」です。作家はそのチョコレート、フランス語でショコラをベルギーはブリュッセル郊外の、鬱蒼(うっそう)たる森の中のレストラン、ラ・ロレーヌで味わいました。それは“ダーム・ブランシュ”、白い貴婦人と名付けられたデザートでした。

作家は料理長になぜこんなにうまいチョコレートができるのか、その理由を訊いてみました。料理長の答えは以下の通りです。

まず豆を選ぶこと。極上のものはコンゴ(現ザイール)の植民地時代に開発したカカオ畑から採れる。その豆を温度・湿度を一定に保ったストレージルームで保存する。豆は客が来てから炒ってすり潰す。すり潰すにはドイツとスイスでしか造れない機械でなくてはダメなのだ、と。

《出典:『小説家のメニュー』中公文庫》
〈参考〉 『ベトナム戦記』朝日新聞社
『米国防総省秘密報告書』朝日ジャーナル、1971年8月10日臨時増刊号
(ニューヨーク・タイムス紙の特報の全訳)
『ベトナム戦争報告』 D.エルスバーグ/筑摩書房/1973年

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