月守 晋

ミステリーの町々

ミステリーの町々 ⑫上海

時は1940年
季節は春、
中国人のいう「清明の季節」で、青空がどこまでも高い、申し分のない朝。
三等航海士に叩き起こされたウェーシーは、舌にざらつくラム酒のカスをうがいして吐き出すいとまも与えられず、70グロスの新案ネクタイの商品とともに、ロサンゼルス行き貨物船から、上海最古の埠頭に放り出されてしまった。
船賃を支払った小切手が、不渡りになっていたのだ。おまけに、動き始めた船から投げ下ろされた上着のポケットの中の財布からは、なけなしの10ドルが消えている。四等航海士に「チップ」としていただかれてしまったのだ。だがー
捨てる神あれば拾う神あり。
文無しで立ち往生のウェーシーを、2人の宣教師が拾ってくれた。1人は40代半ばの男の宣教師、1人はそれより20歳も若い、一種厳格な美しさを備えている女性宣教師。
3人を乗せたタクシーが、外灘(バンド)街の車車の大群の中を無事に通り抜けて、行きついた先はペナン・ホテル。道中、黄浦江が揚子江河口にそそぐ北端に、上海市に砲門を向けて、あたり構わぬ風情で日本海軍の巡洋艦が停泊していた。

黄浦江と蘇州河(呉淞江)の合流する砂洲にあるのが黄浦(ホアンブー)公園。現在は毎朝、大勢の上海市民が、太極拳にはげんでいる。1860年代に、イギリス人が作った公園で、この公園のある黄浦江左岸一帯がいわゆるバンド。「犬と中国人は入るべからず」という立札が立っていたことで有名な、英仏をはじめ列強国の租界(永久居住権を認めた特権地区)があったところだ。
公園の北口、蘇州河にかかっているのが、これも有名な「ガーデン・ブリッジ」。なぜ有名かといえば、この橋を渡るのに、外国人はただなのに、中国人は金を払わなければ渡れなかったという、屈辱的な橋だった。橋を渡った対岸にある大きな建物が上海大廈。イギリス租界時代の、1934年に建てられたホテルで、新中国が誕生するまでは「ブロードウェイ・マンション」と呼ばれていた。

さて、ホテルでシャワーを使って、さっぱりした顔つきと身なりを取りもどしたウェーシーを、女宣教師のミス・タトロックが案内したのは、蘇州河の北側の虹口(ホンキュー)地区。2人はガーデン・ブリッジを歩いて渡り、検問所で日本水兵にパスポートを見せた。
ミス・タトロックとバーンズ牧師の、「希望の扉」と「助けの手協会」のオフィスは、古くてくたびれた地区の古びてくたびれた建物の2階にあった。本来は別々の組織なのだが、資金と人員が悲しいほど不足している(つまり上海支部の人員はそれぞれ彼女と彼だけなのだ)ので、力を合わせて「二倍の魂を救う」ことにしたのだ。

このオフィスで、ロサンゼルス行きの船の切符を交換条件に、ウェーシーがもちかけられた仕事というのが、半トンもの阿片を探し出すという途方もないお話。
宣教師になぜ阿片がいるのか?阿片から抽出するモルヒネで、野戦病院で苦しんでいる人たちを救いたい。この阿片は政府も知らないでいる、つまりは非合法の阿片。となれば、やり合う相手は阿片密売の組織を牛耳っている秘密結社。殺される前に、半トンの阿片を隠したのは、上海では伝説化された悪党のウォルター・ファラデーという男。

上海の俗語で、阿片のことを「花」というのだそうで、だから、トニー・ケンリックのこのミステリー「上海サプライズ」の原題は、Faraday’s Flowers(ファラデーの花/角川文庫)。
「ギャングは決して手を出してきません」と妙に自信のあるバーンズに説得されてともかく手掛かりを求めて、ミス・タトロックと2人、“魔都”上海の裏街を、弥次喜多で歩き回る破目になってしまったウェーシー。
探し始めた早々に、蜜のおけに落とされて、猛烈な悪臭の中で一晩を過ごすという典型的な秘密結社のおどしに遭った彼を待ちうけているのは・・・・・。
『上海サプライズ』の時代とは違って、解放後の上海は、北京や天津とともに中央政府の直轄地の一つとして、中国最大の商業都市、国際的文化都市としさ発展してきている。
かつての租界は今、もちろん存在してはいないが、建物や施設などは往時のままの姿をとどめて、新たな目的に生かせれている。
この活気にみなぎる大都市のかつての姿が、『上海サプライズ』から読みとれるのだ。訳者の「あとがき」によると、映画にもなっているらしい。

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