月守 晋

あの雑誌が創刊号のころ

【あの雑誌が創刊号のころ】■Emma エンマ閻魔■

【あの雑誌が創刊号のころ】■Emma エンマ閻魔■
1999/10/29

雑誌「Emma」の創刊号は、発売されるとわずか五日足らずで売り切れ書店が続出したという、書籍業界では今でもおりあると語られるエピソードを残した雑誌である。
もっとも、このエピソードは東京圏での話ではあるのだが。

A4版、本文154ページ、月2回10日と25日の発行、定価280円。
創刊号は昭和60年6月25日に出た。版元は文芸春秋である。

「Emma」には“Bunshun People Magazine ”と副題がついている。Bunshunと断っているのは、お手本にした雑誌があります、ということなのだろう。
アメリカの雑誌にずばり“People ”という週刊誌があって、映画スター、プロスポーツ選手、政治家、実業家、作家、学者、TVタレントなどありとあらゆるセレブリティ、
有名人の噂話を掲載して240万部も売っていた。噂話だが内容はホームドラマのように健全で、保守的だった。創刊は1974年。

表紙写真にデビュー二年目でNHKの朝の連続ドラマ「澪つくし」の主役に起用され出演中の沢口靖子を使った“文春のピープル”はしかし、“特出し”のストリッパーのアブナ
イ写真や、どんなルートから入手したのか、仲間からのリンチで殺されて妙義山中に埋められていた連合赤軍コマンドの凄惨な惨殺死体の写真やらを掲載している。

「閻魔」は地獄の大王で、人間が生きていた間にやった行いの善悪を審判するスーパー・レフリーだが、“文春閻魔”は、現代日本社会の閻魔たらん、という命名だろうか。
この創刊号には三浦百恵のエッセイ「窓に吹く風」の第一回が載っていて、大売れの原因はこれではないのかしらん。今年、平成11年、ダンナの三浦友和のエッセイ『被写体』
が百万部を越す勢いで売れたけれど、昭和55年、結婚前の山口百恵は自著の『蒼い時』を一週間で百万部を売り切った実績を持つ。引退して5年、1歳の男児の母親になってい
ても、百恵さんのカリスマ的人気はまったく陰りもみせてはいなかったろうから。ちなみにこの雑誌のエッセイの第一回のタイトルは「報道という名の暴力」だ。

意気盛んだった「閻魔」は2年後、62年5月12日のNO.63で終刊となる。最終号の目玉は「「正統」スワッピングパーティーの研究」という5ページの組写真。21組4
2人の夫婦と7人のお助けマン、計49人の乱交パーティーだと説明書きがついているがあんまり見たくなるようなシロモノじゃない。
頭の30ページほどを除くと、あとは“Best of Emma”と題した既刊号からの再録である。
自殺したアイドル歌手岡田有希子と峰岸徹が肩を組んで談笑するロケ撮影中の一こま、とか浩宮の28人のお妃候補とか、ハワイ海岸でのダイアナ妃の水着姿とか。まあ全体に、
どうということはない写真が並ぶ。その中で未だに背筋を凍らせる、あの日航ジャンボ機の墜落現場と犠牲者の血染めの遺品の写真は印象に強く残る。
惨事は昭和65年8月12日に起きた。

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