月守 晋

あの雑誌が創刊号のころ

【あの雑誌が創刊号のころ】■終末から■

【あの雑誌が創刊号のころ】■終末から■
1999/12/24

1973(昭和48)年6月30日創刊のこの隔月刊行の雑誌は、翌74年の10月に第9号を発刊しただけで終わった短命の雑誌だった。この雑誌が読者に与えた衝撃は大きく深かったが、しかし、発行部数は号をおうごとに下落した。創刊号は10万部、終刊号は5分の1の2万部で終わっている。それには経済環境の悪化も影響した。この年後半から出版界は世界的なパルプ用材逼迫の影響を受け、加えて異常渇水による製紙工場の操業能力ダウンがあり、さらに第4次中東戦争の勃発による石油産出国の輸出規制、いわゆるオイルショックに襲われた。出版社は12月には平均25%の用紙削減をメーカーや問屋から通告されたのである。

創刊号はA5判288ページ。定価380円、版元は筑摩書房。
観音開き(お経の本のように左右のページをたたみこんである)の目次の後に、横尾忠則の「豪華絢爛長尺絵巻 千年王国」がつづく。横へ8ページ分の長さの折り込みだ。この長尺絵巻形式は2号の林静一「光夢恋」で終わり、3号はつげ忠男、滝田ゆうなど8人の16ページのイラスト特集「終末歌情」に変わり、4号ではそれも消えてしまった。部数が落ちて、編集費がかけられなくなったのだろう。

巻頭には98ページの特集「破滅学入門」が組まれている。構成は野坂昭如と編集部。ちなみにこの雑誌の編集長は原田奈翁雄。
1970年に故・高橋和巳、開高健ら5人を同人として創刊された季刊誌「人間として」の筑摩書房側の代表でもあった。
野坂はのちに単行本にもなる「子噛み孫喰い」を語り下ろしているが、全国各地で環境破壊を日々に体験している漁師、農家、獣医師、医師らの詳細なレポートが恐ろしい。
ことに広島県呉市の中学教師の海の魚に関する報告。呉市近海で釣れる“変なハゼ”の組織から水銀・亜鉛・銅・カドミュウムが高い数値で検出された。
“変な”ハゼはこうした重金属に汚染されたとみられるハゼで、背骨が曲がっていたり、顔や体ノあちこちに腫瘍ができており、46年11月には千匹弱のうち77%に異常が発見された。

この雑誌の発行から26年、ミレニアムだの新たな世紀の到来だのと浮かれているみたいだけれど、近頃の地球はダイジョウブなのだろうか。目につかぬところで、
もっと深刻な事態が進行している、なんていうことはないのだろうか?

「終末から」は井上ひさしの『吉里吉里人』の連載を始めた雑誌でもあった。『吉里吉里人』は1982年に単行本化され、78万部以上も売れている。
「終末から」の終刊ののち発表の舞台を変え、長い年月を費やして完成された。
「終末から」のバックナンバーは今でも、古本市や古書店で見かけることがある。500円から千円ぐらいで手に入る。

 

 

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