月守 晋

あの雑誌が創刊号のころ

[あの雑誌が創刊号のころ]■TheTown タウン■

[あの雑誌が創刊号のころ]■TheTown タウン■
1999/4/2

「青年のクラス・マガジン」をキャッチワードに、昭和42年1月5日に創刊された月刊誌である。
この雑誌を書店で初めて目にしたとき、「日本にもこんなグラフィツクな雑誌が誕生したんだ」という嘆息をともなった感慨だった。
定価180円。

昭和42年といえばカラーテレビ、クーラー、マイカーが豊かさを表す不可欠のアイテムとして3C時代と呼ばれ、インスタント食品が隆盛期をむかえ、回転寿司の1号店が東京
錦糸町に開店した。
一方、世界に目を向ければ、中国の文化革命は2年めをむかえ、ベトナムでは米海兵隊がメコン・デルタに初進攻し、中東ではアラブ諸国とイスラエルの間に第3次中東戦争が始まっていた。

mass magazine 大衆誌に対して、特定の読者層を対象とするclass magazineの発行が、出版界で検討されはじめたのは、Townの創刊からそう遠くないころでからである。
しかし、Townの創刊は、どうやら時期尚早であったらしい。創刊の編集長・佐藤正晃は3号で名前を消している。4号からは編集長が替わり、雑誌は短命に終わった。

Town創刊号のトップは、岡村明彦(アメリカの大判写真誌「ライフ」のベトナム報道で世界に認められた。故人)の写真ルポ《タヒチ》。
そして記事の目玉は、本場の「プレイボーイ」の社長兼編集長「SEXの帝王=H.M.ヘフナー会見録」。
プレイボーイ・マンションの豪奢な内部が、カラー写真で紹介されている。
ヘフナーとの会見のインタビュワーは”三文役者”こと殿山泰司。ジャズやミステリーなどの軽快なエッセイも書いたが、この人も故人だ。

小説は野坂昭如の『とむらい師たち』230枚の一挙掲載。小説といえばTown第2号には、これも殿山でヘンリー・ミラーとの会見録が収載されている。ミラーは72歳だ。

創刊号で岡村が言っている。「フォト・エッセイを載せるには、Townは小さい」と。
いま改めて見てみると、なるほどB5サイズは小さい。書店で初めて手にしたときは、ぜいたくな、大型の雑誌に見えたのだが。「時は流れる・・・」か。
〔あさめし ひるめし ばんめし〕
「くいしん坊の雑誌」として、昭和49年12月10日付けで創刊されたこの季刊誌は、
A5版、64ページという小冊子だ。定価は240円。みき書房の発行。
昭和49年という年は、不二家が世界最大のアメリカ資本のアイスクリーム・チェーンと提携して、「サーティワンアイスクリーム」の1号店を東京目黒に開店させ、これもアメ
リカ資本のデニーズとイトーヨーカ堂が日本の「デニーズ」1号店を横浜上大岡に、三菱商事とキリンフードサービス、アメリカ大手のピザ・レストランの三者が組んで「シェキ
ーズ」1号店を東京赤坂にオープンした年である(『近代日本食文化年表』小菅桂子による)。

巻頭連載は小島政二郎の「食いしん坊」。うまくて安い家のことを書くと、観光客が殺到してたちまちメチャクチャにしてしまう、と嘆いている。嘆きながら「南一」「小川軒」
「楼蘭」と店名を挙げているのがおかしい。そして魯山人の「牛鍋」の作り方。

「エール・フランス企画部長」の肩書の仲沢紀雄は、パリの、冬の風物詩の生かき、家庭料理の「ポット・オー・フー」、そしてクリスマス・イブの家庭の団欒を書いている。
「ポット・オー・フー夫人」というとフランス語では「家庭的な夫人」の意味だという。

仲沢は「形式ばらない家庭では、伝統的とはいえ大味な七面鳥より、鴨や小羊のももの丸焼き、あるいは野鳥や野獣の料理を好む。ただデザートにはビッシュがなければ、子どもたちは満足しない」とも書いている。

ビッシュは木の幹を形どったお菓子。平たく焼いたスポンジに、チョコレートクリームを一面に塗り、のり巻きのように巻いて、外側全体にへらでチョコレートクリームを塗る。
このとき、木肌に似せて、へらで筋をつけるとよい。

そして西丸震哉が食品添加物について書いている。人間の「安楽追求」が生み出したものだ、と。
そして、これには善悪両面があり、マイナスに働くものは極力、排除するべきだと。
書き手は他に開高健、サトウサンペイ、茂出木心護(たいめいけん主人)など。

 

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