月守 晋

A petty talk on chocolate

■E.スノウのチョコレート・ケーキ■

■E.スノウのチョコレート・ケーキ■
1999/3/8

毛沢東の中国ならばアジア型の、われわれ日本人の肌にもなじむ国を作っていくのではないか、という期待を読後の感想として持ったものであった。
エドガー・スノウの『中国の赤い星』のことである。

この本によって、太平洋戦争(あるいは第2次世界大戦)中、“赤匪(世に害をなす共産主義者)”と呼ばれて嫌悪され、敵視された「八路軍」の実体を知ることができたし、毛
沢東や周恩来、朱徳、彭徳懐など中国共産党の首脳たちの人間にも触れることができた。
また、日本が中国大陸で何をやってきたかも。そして、それに対する西欧諸国の視線を。

スノウは1936年6月、宋慶齢(孫文夫人)らの助けを借りて、それまで外国人はだれ一人入ったことのなかった、中国共産党の根拠地、陝北(せんほく)のソビエト区に入った。
当時、スノウは米英の新聞・雑誌に中国情報を供給するジャーナリストとして貴重な存在だったのである。

陝北地区の首都になっていた保安(現陝西省延安の北)に達したスノウは、ただちに毛沢東に会った。毛は当時、43歳の働きざかりだ。後年、毛の後継者として副首席の地位にあ
りながら離反し、クーデターに失敗して逃亡中、乗機が墜落して死んだとされる林彪は28歳で、赤軍大学の学長をしていた。

こうした現代史の著名人のこともさることながら、この本の魅力は随所に披露されるエピソードである。
とりわけ子どもたち。悲惨で、残酷な体験をへて得た彼らの誇りと未来への希望。

スノウはこの地で、半焼けのパンを食べ、ときどき豚か羊の料理を食べ、
フライにした稷(きび)、煮た稷、焼いた稷を食べた。キャベツ、胡椒、タマネギ、豆類は豊富にあったが、砂糖、ミルク、コーヒー、バター、鶏卵などはなかった。

スノウはある日、新聞の記事に触発されて、「チョコレート・ケーキ」作りに挑戦した。
2オンスのココアと貴重なバター、その他の材料をソビエト地区政府からせしめ、大勢の観衆の見守る中、ケーキ作りにいどんだのである。そして、もちろん、お菓子はいつまで
たってもふくらんでこず、みごとに失敗した。
それでも観衆はネバネバしたままのそれをぜんぶ食べつくしてしまった、という。
あまりにも多くの良い材料を使ったので、捨てるには惜しかったのである。(筑摩書房版による)

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