月守 晋

A petty talk on chocolate

■新世界の食用植物の伝播■

■新世界の食用植物の伝播■
1999/12/10

スペイン人が中米・ユカタン半島に侵入したのが1517年、その2年後にはメキシコにも押し入った。彼らはチョコレートのみならずタバコ、ジャガイモ、唐ナス(カボチャ)
など中南米原産の植物をヨーロッパに運んだが、それらはやがて西アジア、インド、中国経由で日本に入ってきた。

天文12年、1543年に種子島に漂着したポルトガル人は日本に鉄砲を持ち込んだが、その2年前にはカンボジア産のカボチャの種を、1年前にはブラジル原産のトウガラシを
伝えている。スペイン人の中南米侵略からわずか24年、帆船と馬・駱駝が主要な交通手段だったことを考慮すると、驚くべき速さである。

イスパニア(スペイン)の宣教師ザビエルは天文18年、1549年にヤソ教だけではなくタバコも持って渡来してきたという話を書いてある本がある。しかし、これはどうやら
俗説というやつらしい。今日の定説では慶長6年、1601年にイスパニアの宣教師ヒエロニムス・デ・カストロが前年につづいてマニラからタバコの種を持って渡来し、家康に
献上したのが最初だということになっている。タバコはこのころ薬として使われ、ことに当時流行していた梅毒の予防に効果があるというので、喫煙の風習が広まった。

熱帯アメリカ原産のトウモロコシとタマネギは天正7年、1579年にポルトガル人が長崎にもたらしたといわれる。1620年にメイフラワー号で北アメリカに移住したイギリ
ス人たちは、インディアンからトウモロコシやジャガイモの栽培法を教わって、飢えと厳しい冬の寒さから救われた。しかし、中南米への侵略者たちは“新スペイン”の食物、ト
ウモロコシなどは口にせず、豊富な野菜類も無視して、わざわざ旧世界から牛や羊、豚や鶏を持ち込み、小麦やヒヨコマメを栽培して(原住民を奴隷として使って)、旧世界式の
食習慣をつづけた。現地の食物と自分たちの持ち込んだ食物とを混成し、クレオール(新大陸に移住したスペイン人の子孫)料理と呼ばれる“混血料理”を作るようになったのは
よほど時代が下がってからだった。

バレイショは別名を「オランダいも」ともいう。チリ、ペルーあたりが原産地で、16世紀にヨーロッパに伝わり、わが国では宝永3年、1706年に北海道で松兵衛という人が
植えたという記録があり、これ以後の栽培記録は多いらしい。北海道は現在も全国一のバレイショの栽培地だ。

さて飲み物のほうでは、『長崎見聞録』に「かうひいは蛮人煎飲する豆にて・・・」という記事があるという。寛政7年、1975年である。チョコレートのほうはその2年後、
寛政9年に長崎出島を管理する番所に、丸山の遊女がオランダ船員からもらった物を届け出た中に、「コヒオ」と「チチアラード(チョコレート)」の記述が残っているのが史料
としてはもっとも古いという。

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