月守 晋

A petty talk on chocolate

■台詞はひとこと「イヤーン」■

■台詞はひとこと「イヤーン」■
1999/10/08

1930年代のアメリカは29年に起きたニューヨーク株式市場の大暴落(世界の経済恐慌の引き金になった)で始まった大不況から抜け出せず、巷には失業者があふれていて、
5千人の求職者に300の、それもひどく賃金の安い働き口しかないという、惨めな時代だった。されにどういうわけか大洪水や熱風による農地の砂漠化など自然災害につぎつぎ
に襲われてもいた。

現実がこうであれば、人はなおさら夢を見る。その夢を供給していたのがハリウッドで、毎週末、25セント貨を握った8千5百万人の観客が(子どもは10セント)映画劇場の
チケット売り場に行列を作ったのだ。

わけても子どもに、そして大人にも人気の高かったのがシャーリィ・テンプルだ。3歳の年の34年に歌って踊った“Stand Up and Cheer”でデビューしてその年の観客動員
数の多いスターのトップテン8位にランクされ、翌35年からは4年つづけて1位になった。主演映画のテンプル人形が作られ、映画そのままの衣装や小物つきで、3ドルから3
0ドルの値段で総数600万個以上売れた。人形に着せる衣装は、実際の子ども服より高かったほどだ。

“太陽の輝き”のような金髪(カールの髪型が56タイプあり、その髪型を注文する客が押し寄せて美容師が大儲けした)の少女のギャラも並外れていた。年間の契約金が30万
ドル。もちろん、その他にばく大なロイヤリティが入った。34年ごろ、たとえば航空機のパイロットの年収が全職種の中の最高で8千ドル、弁護士4千2百、鉄道会社の重役5
千、医者3千4百といったところで、下のほうは農場労働者216ドル、鉄鋼労働者423、ウェートレス520ドルていどだった。

シャーリィ・テンプルがデビューした34年、小説家を父に、新劇女優を母として一人の女の子が東京で生まれた。女の子は2歳と8か月のとき、強く望まれて映画に出演した。
映画は横山隆一の人気漫画の映画化で「江戸っ子健ちゃん」、主演榎本健一。女の子の役はフクちゃんで、台詞はたった一つ「イャーン」だった。
海の向こうで、もう一人の少女の人気が落ちるのと反対に、こちらの女の子はそれからつぎつぎに映画に出て、天才子役と騒がれた。女の子の名は中村メイコ。ただし、シャーリ
ィ・テンプルとは違って、父親の主張でギャラは「大きな籠にいっぱいの玩具」ていどのものだったという。娘、といっても幼児の稼ぎで親が喰っているといわれるのを嫌がったのだ。
ために暮らしの金は母親が、勤めに出たり、店をやったりして稼いだ。
父親は昭和十年から、小説をまったく書かなくなってしまう。時代が彼に筆を折らせた。父親の名は中村正常。

ところで、メイコのもらった玩具籠に、当時は高級菓子だったチョコレートも入っていたかどうかはわからない。たぶん、入ってはいなかったろう。
何もかもが戦争のために犠牲になった時代で、チョコレートなぞはまっさきに“贅沢品”だと切り捨てられたにちがいないから。

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