月守 晋

A petty talk on chocolate

■パリじわ・ベルリンじわ■

【悪口雑言・けんか・ひゃかしのための引用辞典】
■パリじわ・ベルリンじわ■ 
2000/09/29

むかし、といっても昭和25年ころ、「アメション」しいうことばがはやった。
この年1月19日、アメリカの航空会社パンアメリカンの“空飛ぶ大型帆船・レインボウ号”で、3か月間、映画使節として渡米していた女優・田中絹代が帰国した。そして、羽田に出迎えた大勢のファンは、タラップに現れた絹代にボー然としたのである。

田中絹代は清純可憐な娘役として、絶大な人気を誇る女優だったのである。それがあろうことか、緑色のサングラスに黒い手袋、毛皮のハーフコートを肩にはおり、ハワイでもらったレイをかかげて、報道陣にむかって「ハロー」と帰国第一声を放ったのだから。
しかもその後、空港から銀座までオープンカーでパレードをやり、毎日新聞社のバルコニーからはファンに向かって、ハリウッドの女優ばりに投げキッスを連発、戦前の修身教育の抜けない敗戦国民をなげかせたのだった。

敗戦後の日本人には、海外旅行など夢のようなものだった。だから、たまたまアメリカなどに渡る機会に恵まれた人は、それを大いに自慢した。反対に行けなかった連中は、「なんだい、ちょこっと行ってションベンをしてきただけじゃないか」と反発した。
田中絹代の渡米はまさに、「アメション」の典型だったのである。この事件いらい、「アメション」は外国かぶれ、とくにアメリカかぶれを軽蔑することばとして使われた。もっともこのことば、昭和の始めにはすでに使われていたというから、リバイバルだったわけだ。

昨今はだれでも気軽に海外に遊びに出かけるから、たとえ5泊7日のパック旅行でもパリション、イタションなどとはいわない。そのかわり、下の例のようにもっと辛辣なことばを浴びせるのである。


四年ほど前、私がパリ旅行から戻ってきたとき、連れ合いは「お帰り」を言うか言わないかに、「目もとにパリじわができたな」と私の顔をしげしげと見、ベルリンに行ったときは、「ベルリンじわができたな」と言って、にやりとした。
(高橋順子『博奕好き』/新潮社)


こういう、相手が思いもつかないようなことばを駆使できる人が真の喧嘩上手なのだ。言われたほうだって、本気で反論するわけにはいかない。「まったくもう!」などといいながら、笑いだすしかないのである。

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