月守 晋

A petty talk on chocolate

〔人それぞれの・・・・〕■アグネス・チャン■

〔人それぞれの・・・・〕■アグネス・チャン■
1999/2/13

アグネス・チャンが日本にやってきたのは1972年6月である。渡辺プロとの橋渡しをしたのは平尾昌晃。
17歳のアグネスは銀座三越の一角にあったマクドナルドで、生まれて初めて「ビッグマック」を食べて、「涙ぐむほど幸せ」だった。
ちなみに、日本マクドナルドの第1号店として、前年の1971(昭和46)年7年20日にオープンしたこの銀座店では、
オープン当日1万人以上の客がつめかけ、売上が100 万円に達したという。ハンバーガー1個が80円だった。

デビュー曲は周知のとおり「ひなげしの花」だ。メロディーにも歌詞にも共感がわかず、
アグネスには気に入らなかったが、しかし、この曲が大ヒットしてアグネスはたちまちアイドル歌手になる。

そして翌年10月、「草原の輝き」で第6回新宿音楽祭の金賞を、11月には日本歌謡大賞新人賞を射止め、
さらに年末恒例のNHK紅白歌合戦の出場者に選ばれ、「ひなげしの花」を歌った。
(しかも9月からは上智大学の学生にもなっていた)。

こうしてアイドル歌手と出席に厳しい上智大生という、あわただしい二重生活がはじまるのだが、
自宅でのんびりできるときは、お菓子をつまみながら本を読んだ。近くのお菓子屋さんで買うのはいわゆるスナック菓子で、
「麦チョコ、揚げ煎餅、カッパえびせん」だった。飲み物は“初恋の味”のカルピスと麦茶。
お茶をわざわざ冷やして飲む習慣のない中国人のアグネスには、麦茶は「感動的な」飲み物だったという。

ところで「麦チョコ」だ。大麦を“ポン菓子”にして、一粒一粒チョコレートの衣をからめてあるのか、ナ?
それとも、昔菓子を売っている店で目にする、丸い棒状のチョコレート棒みたいな、あれか?
(『ツバメの来た道』より。この自叙伝の装画を担当しているのは、いま人気の版画家・山本容子)。

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