Blog

富永ヒストリー5

私の英語と音楽について。

私は、63歳のときベルギーにチョコレートの(Belgian Chocolates Europe nv)の会社を設立した。英会話には全く自信がなかった。それまで海外の市場調査やチョコレート工場の見学をした経験は豊富にあった。1985年にNHKの外信部にいた同級生の高田正純が突然NHKを辞めて「私に会社経営全般を教えてほしい」と頼みに来たので、インフォジャパン(Info Japan)を設立して、当時、百貨店で流行っていたノイハウス(ベルギーのチョコレート製造業者)の販売店を東京南麻布につくるためにベルギーに出店する契約交渉に行った。  ページトップの写真はベルギー、ブリュッセルのノイハウス本店

実際の交渉段階で通訳が全く役に立たないことが分かった。契約は拙い私の英語で交渉した。チョコレート業界の専門用語(jargon)はすべて知っていた。15歳からチョコレート職人として育てられた私は高校を卒業した頃からチョコレートの業界誌(ドイツのNeue Kondetrei、スイスのLoran Verlarg)とプラリネ(praline) の作り方の本(Continental Chocolates)を読んでいたためである。いくら優秀な大学で英語を学んでいても業界語は分からない。職人としての修練を積んでいなと分からないのが当然である。

欧州各国のチョコレート屋を仕入先として開拓することは簡単でなはかった。よくおまえは工場の中ではよく喋るのに、アフター・ファイヴはどうして黙っているのだと揶揄われた。そこで音楽の力を借りることにした。音楽用語、声楽、合唱、ピアノ、ヴァイオリン、オペラについては海外の人でも知らないことをたくさん知っていた。英語でも喋れた。更にもう一つ、ヨーガを20年以上やっていたのでそれを見せ物よろしく披露して彼らの心を掴んだ。

それは片足の親指を手の指でつかんで徐々に腰をさげ、そのままの姿勢でお尻が踵につくまで脚を曲げ、その姿勢から再び立上がるのである。大抵の人が真似するが片足でお尻をさげていくが、そのまま尻もちをついてしまう。このアーサナ(ヨーガのポーズ)を面白がって何百回もやらされた。

 

富永勸ヒストリーへ戻る

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

2023年3月
 12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031  

最近の記事

  1. 私と音楽

    2023.03.5

PAGE TOP