【あの雑誌が創刊号のころ】■ふるさと■
1999/12/03
昭和四十年十一月から四十五年七月までの五十七カ月、日本経済は戦後最長の景気拡大期を経験した。この間に名目GNPは2.23倍に伸び、四十三年には西独を抜き、自由世
界(ソビエト・東欧圏を除いて)で第二位になった。個人消費の中心をカー、クーラー、カラーテレビが占めて3C時代と呼ばれ、TV受信契約数は四十二年末に二千万口を突破
した。“いざなぎ景気”、神話のイザナギノミコト以来の好景気とはやされた。
生活社という小出版社から「ふるさと」が創刊されたのは“いざなぎ景気”があと七ヵ月で終わろうとする四十四年十二月。B5版、158ページ、フロント8ページと中グラビ
ア8ページの4色ページのほかは白黒活版ページという地味な雑誌だ。定価は三百円。
このころ、好景気の裏で人間の経済活動が自然に及ぼしたひずみが顕在化してきた。四十年、新潟県阿賀野川流域の水銀汚染による水俣病。四十三年、富山県神通川流域のカドミ
ウム汚染によるイタイイタイ病。四十二年、静岡県四日市のぜんそく患者によるわが国初の公害訴訟。四十五年、東京都杉並区の光化学スモッグ、などなど。
「ふるさと」創刊号の特集は「秋田」だ。イラスト入りで秋田県の総人口の変化が示されていて、昭和三十六年に1,325,493だった人口は四十二年には1,265,05
0人に減少し、TV台数は52,215台から248,000台に増えている。そして、記事のトップ「秋田からのレポート」では“出稼ぎ王国”秋田の農村の現状と、この年八
月から約二ヵ月間、八郎潟干拓地と大潟村で開催された秋田農業博覧会のルポ。「秋田の農民たちはいま、津波のように押し寄せてくる農政不在の政策にゆさぶられながら、将来
にたいする希望も失った不安の中で生きている」と終わっている。この不安、希望のなさは、ほとんど全国の農村が共通して抱える不安であり、希望のなさだった。
日本経済の好況はいわば“都市集中型”であり、地方の農山漁村は働き手をとられて、都市の繁栄と反比例に疲弊していっただけだった。
“田舎ぐらし”はいま、TV番組や雑誌の記事で一種のブームみたいだけれど、たんなるブームで終わらずに、将来に希望のもてる“ふるさと再生”につながるのだろうか。
月刊誌「ふるさと」は二号が「高知」、以下熊本、長野、北海道、と特集に組んで刊行されている。全都道府県を網羅できたかどうか、じつは追跡していないのでわからない。
手元には第七号までしか残っていない。