〔あの雑誌が創刊号のころ〕■広告批評■
1999/7/16
「広告を批評する」なんて雑誌が商売になるのかと思ったけれど、これが商売になった。
だけではなく、当時の編集長・天野祐吉はいまや知らぬ人とてない知名人である。
昭和54年5月の創刊。A5版68ページ、定価420 円、月刊、発行所は株式会社マドラ。
「広告は大衆文化のなかのすぐれて前衛的な表現です。”いま”と切実な関係を保ちつづけることによって、
広告は人びとの暮らしに対する想像力を切りひらき、しなやかに生きるための目を鍛えてきました。
が、このところ、広告は本来の”言葉”を失ってしまったように思われます。
<中略>年間1兆8千億のお金が広告のために使われていることを思うと、これはどう考えても、もったいない話です」
そこで、「広告が、大衆表現としての新しい”言葉”を獲得するには、何を、どうすればいいのか」それをみんなで知恵を出し合って考えよう、
というのが創刊号表紙裏に掲げられた発刊の主旨である。
で、〔特集〕は「言葉の活力」。まず「コピー・人・言葉」というタイトルで哲学者・福田定良が「仕事や勉強は面白くなくて当たり前、コピーのほうは面白くて当たり前」と書いている。
ただし「面白ければいいんだ」でやっていては「コピーづくりは単なる職人芸になるかタレント依存主義になるかのどちらか」だとも。
ついで東大新聞研究所教授・稲葉三千男、詩人・大岡信、コピーライター・梶祐輔の座談会による「コピー作法批判」。
司会者(編集部)側から「TVコマーシャルに対する無反応が非常に多くなってきている」と問題提起がなされている。
そういえば友人の何人かは「TVコマーシャルはまったく見ない、新聞・雑誌の広告も全然読まない」という。
“無反応主義”はいまだにつづいているのだ。他に外山滋比古の「言葉の詐術について」や江藤文夫「語る言葉と語られたことば」など。
谷川俊太郎と天野祐吉の<対談広告入門>は「詩を書くこととコピーを書くこと」。巻末は「AD TREND」で前月のTVと新聞の広告批評だ。
PARCOのTV広告がえらく褒められている。
ところで「広告批評」は、創刊号を出した前の月、つまり4月に「0号」を出している。
「こんな雑誌を出しますけど、どんなもんでしょう」と市場調査をやったわけ。
内容のほうは対談が3本(タレントが生きるとき・倉本聡×山田太一/広告のなかの女たち・吉行淳之介×石岡瑛子/CMはタレントを点検する・江藤文夫×岡本博)と
「私自身による私自身のCM批評」ということでCMに登場している28人がインタビューを受けていて、これが自尊謙遜さまざまあって面白い。